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犬を飼う才能

私が最近よくお客様にお話しする事ですが、犬を飼うには『適性』があります。

例えば、「野球がやってみたい。」「フィギュアスケートがやってみたい。」で、実際にそれを初めてみる事は、誰にとってもそう難しくはない。
だけど、イチローや浅田真央のようになれるかと言ったら?
どんなに野球やスケートが好きでも、そこまで上り詰められるかどうかは、別の話。
ごくごく一握り、ほんの一部の人しか、行き着けないですよね。
『犬を育てる』っていう才能も、実は、それと同じくらいの確率だと思うんです。

才能の前にまず環境問題、例えば、野球やスケートを始めること自体難しい人もいるでしょう。
スケートだったら特に、通える範囲にスケートリンクがなければ、始めてみる事すらもできない。

犬を飼う事で言ったら、ペットが飼える物件に住んでいないとか。
一人暮らしで仕事も忙しく、家に帰ってから寝るまでは二、三時間しかない、その数時間の間に自分が食事をしたりお風呂に入ったりでとても犬とじっくり触れ合う時間なんてない、とか。
結構重度の犬アレルギーの家族が居るとか。
そうなると、どんなに犬が飼いたくても飼えない。
それと同じです。

では、スケートを始める事が出来た場合に。
例えば、どのくらいの頻度で教室に通えるのか。
本人が通いたくても送迎できる人が居ないとか、他にも習い事などをしていてスケートに行ける時間が少ないとかという、環境問題なのか。
それとも、本人が、「スケートは週一程度だったら楽しいけど、毎日なんて疲れるしうんざりしちゃう」という程度しか、スケートに情熱が向かないのか。
という「通えない理由」によっても違ってきますが、いずれにしろ、あまり通えなかったら上手くなっていかない事は明白です。

つまり、犬を飼う事で言ったら。
犬を飼い始めることは出来たけれど、親の介護や子育てに手がかかっていて、実際はあまり犬のために割いてやれる時間がない。
あるいは、犬のために留守番を短くしたり遊びに出るのをガマンしたり、そこまで出来ない、する気がない。
というような状態。
これだと、いずれにしろ、留守番があまりなくたっぷり飼い主と過ごせる犬との、幸福度の差は開きます。

それから、例えば、スケートは好きだし才能もあるけれど、怪我や体調不良で寝込む事が多いようでは、やはり充分に練習ができないし上手くなれない。
犬を飼って、散歩に行ってあげる気はあっても、自分自身が膝や腰が悪くて満足に歩けないとか、よく寝込んで散歩に行けないようでは、犬の幸福度は下がる。

スケートは上手くなったけれど、衣装代や靴代、試合に行く遠征費など、お金が続かなくて選手をやめてしまう人も沢山います。
犬が想定外の重病を患ってしまって、医療費で手一杯で、本当はもっと質のいいフードを食べさせたりトリミングも良いオプションをつけて皮膚トラブルを解消してあげたいけれど、お金がない…
留守番の長さを軽減するために犬の保育園を利用したいけれど、金銭的に厳しい…など、『より上質な幸せ』を提供してやろうとすると、お金なんていくらあっても足りないものです。

スケートの試合に出られるようになっても、極度のあがり症で、試合本番となるといつも大失敗ばかり…というのでも、結果は残せない。
なんていう、性格の問題でも、高度なレベルの話になるほど小さな問題ではなくなりますね。
普段は犬に接するのは上手なんだけれど、情緒不安定で、カッとなったり落ち込んだりしてしまった時はとても犬の世話をするどころじゃない、飼い主の不穏な空気に犬もおろおろ…なんて事もあります。

あるいは、スケート選手が、いいコーチやいい靴職人に出会えるかどうか。
高度なレベルを目指すと、そういう、一種の運とまで言える事柄も、結果を大きく左右するものです。
犬を飼って、いい獣医、いいトリマー、いい散歩仲間に出会えた人と、「小さい犬はお散歩なんて行かなくて大丈夫だよ、外に出さなきゃワクチンもいらないよ」と言うようなアドバイスをしてくる人にしか出会えなかった人では、犬に対する意識はえらく開いていきます。

極めようとすればするほど、ありとあらゆる要素が必要になる。
「好き」「努力できる」は当然、大前提で大切だけれど、それだけでは浅田真央のレベルには到達できない。
逆にどんなに高い身体能力を持って生まれても、スケートそんなに好きになれない、真央ちゃんのようには努力できない…それも、浅田真央には到達できない。

犬を飼うという事も、極めようとすれば、それと全く同じです。
本当は、犬を最上級に幸福に暮らさせてやろうとすると、ありとあらゆる要素が必要になる。
大多数の家庭で、「犬を飼うってのは“こんなもん”だろう、うちの犬は充分幸せだろう」くらいのノリで犬が飼われていますが、浅田真央とフィギュアスケートの関係に到達できているお宅は、実はごくごく一握り。

「犬を飼うにあたって認識が低すぎる」お宅も含め、「いくら愛していても、可愛がっていても、“100点満点の幸せ”を犬に提供できてはいない」お宅の方が、圧倒的に多いです。
我が家もそうです、100点満点にはほど遠い一家です。
飼い主の性格、ライフスタイル、家庭環境、金銭事情、様々な細かい要因が絡み合ってきます。

今回一番焦点を当てたいのは、『才能』という意味での適性です。

犬を育てるのには、向き不向きがある。
上手い、下手がある。
それこそ、『浅田真央がフィギュアスケートに対する抜きん出た才能を持っていたこと』と同等に、“犬を上手く育てる才能”は誰にでもあるものではありません。

むしろ本当に才能がある者の方が限られている。
と思っているので、私は実は、多くのお客様にレッスンをさせて頂く中で、「こんだけ奥深くて難しい事を、全ての人に、プロと同じレベルでマスターさせてあげるなんて、到底無理な話だよな」と思いながらやっている、つまり一種の“諦め”を持ってやっているので、結構冷めて見ていたりもします(笑)
(トレーナーと名乗っているからと言って必ずセンスが抜きん出ているわけでもないですしね)

ちなみに私自身に対しても、「センスの悪い方ではないけれど、浅田真央レベルではない」と思っています。
私よりも適性が高い人なんてもっともっと他にいます。
私はあくまで『街のスケート教室の先生』くらいだと思ってます。
完全に初心者の生徒さん達から見たら、随分上手く滑っているように見えるだろうけれど。
自分自身が日本一、世界一を目指すレベルでは、全然ない。

私がスケーターだったら、仮にどんなに練習しても、浅田真央と同じ事が出来るようになんて、なれっこない。
真央ちゃんのような身体能力も、根性もないし、性格も良くない(笑)
真央ちゃんに引けを取らないとしたら「スケートが大好きだ」という気持ちだけ。
スケートが大好き、楽しい、という気持ちだけは、真央ちゃんと同じくらい強い。
でも真央ちゃんと同じ練習を同じだけしても、絶対に私には、真央ちゃんと同じ事は出来ない。
それくらい、埋まらない才能の差がまずある。
そう思っています。

スケートだったらそれでも、好きで、やりたいんだから、人に迷惑をかけない範囲で、自分の出来るレベルで楽しく滑っていればいいと思う。
だけど犬の場合はどうしても、自分自身の他に、対等に命や感情を持った生き物を巻き込むことになります。
自分自身が好きで楽しい、それでいい、とは言えない。

「スケート下手だけど、やってると楽しい」はいいけれど、「犬を育てるのは下手、だけど私は楽しい」は、本当は許されることじゃない。

「いや別に許されないってほどのことじゃないだろ」と言う人がいるとしたら、それは、犬の命が人間より軽いと腹の底で思っているから。
犬を人間の娯楽の道具にしてもいいと、どこかで思っているからでしょう。
きっと本当はスケートだって車だって楽器だって、本当に愛している人に言わせたら、「とことん愛せないなら楽器が可哀想だから、やめれば?」って言いたいと思うし。
最近、インスタで手っ取り早く人気者になりたければ、犬か猫を飼うといいなんて言われているんですってね。
まさにそのノリでしか一つの命を見ていないということでしょう。
犬をより幸せに、ほんの少しでも理想に近く、自分の娯楽でなく犬自身のためにできる限りの献身をと思える人でなければ、本来は動物を飼う資格はないと言えるはずなのですが。

そして、本当に犬をちゃんと育てること、犬を限りなく『理想の幸福』に近づけてあげることは、いくら犬が好きで、犬のために努力できると言っても、そうそう成し遂げられるもんではありません。
いくらスケートを頑張ったって誰でもオリンピックに出られるレベルになれるわけではないように、突き詰めると、実はとても難しい事だと思っています。
“犬を育てる才能がない人”に飼われて、不幸なのは、誰より犬自身。
時には問題行動を起こして飼い主も困る事になるけれど、そんな時は、飼い主より先に犬が辛いのは間違いないです。

仮にそれがリーダー論で言うところのワガママだとしてもです。
自分の要求が通らない、自分の思い通りにいかないと言って、イライラして周囲に怒鳴り散らしたり暴力をふるったりして生きていて、幸福度の高い人生と呼べるものでしょうか。
ダメなものはダメと割り切って、我慢するところはしなきゃいけない、人に合わせる時は合わせなきゃいけない、そしてその程度の事は苦でも何でもない。と思って生きられる方が、よほど心穏やかでしょう。
私は最近、「ワガママな犬にとって、ワガママが通らない時って、ものすごいストレスなんだな」と感じています。
だから私の中では『ワガママ行動』=『ストレス状態』です。

結局、犬自身のためにも、ワガママだろうがストレスだろうが問題と向き合ってあげなければいけないのです。

実際は、実は、『犬を育てる才能がある人』が犬を飼ったら、多少の環境の悪さ(留守番が長いとか、狭いサークルに入っている時間が長いとか)は、犬は受け入れてしまいます。
勿論犬の個体差もあるので全てが飼い主側の才能によって左右されるわけではありませんし、いくら犬が許容してくれるからと言っても、『才能ある人に最高の環境で飼われている犬』よりは幸福度は落ちるわけですから、飼い主に才能さえあればどんな飼い方をしてもいいとは言えません。
ただ、飼い主にセンスがあれば、環境が悪くても犬がストレス行動も起こさず適応してしまう事も事実なので、犬を飼うにあたっては、

飼育環境やライフスタイルは多少悪いけれど、センス抜群の飼い主さん

または

飼い主さんのセンスは今ひとつだけれど、ほぼ文句なしの飼育環境

このいずれかの条件を満たすご家庭が犬を飼うようにしたら、問題行動を起こして犬も飼い主さんも辛い…という展開になる確率は随分低くなると思う。
生体を購入する時に、

その生き物に対する知識
その生き物の習性に相応しい飼育環境が揃った家庭か
飼い主さんの適性検査(心理テスト的なやつ)


を点数化して、及第点に至らなかったら生き物を購入できないという格好にするのが、本来だと思うんだよな~。

飼い主さんの才能という点に関しては、お話ししてきたように、「ちょっと教えてもらったからってすぐにオリンピックに出場するレベルの選手と同じことが出来るようにはならない」ですから、留守番の長さやケージの使い方と言った飼育環境の方を及第点に持っていく方が、早いし誰でもやりやすいです。
実際はレッスンに行くと、例えば犬を室内フリーにするために一部屋だけでも“犬仕様”にする(かじられたら困るところをガードしたり、どこでトイレを失敗されても慌てなくて済むように床に適した材質のものを敷いたり、危ないものはみんな片付けたりする)だけでも「えぇ、そんな手間!大変!」というリアクションを頂くことも多いですが、部屋がごちゃごちゃなまま人からの働きかけで犬にイタズラをやめさせるっていう方が圧倒的にハードルが高いんですよ。

『センスのない人』が『練習環境が整わない』のではいつまで経っても技の一つも身につきませんが、『センスのない人』でも『良い先生に出会えて一生懸命リンクに通うことが出来る』という環境が整ったら、一定の上達はできるはずです。
それと同じで、せめて犬を迎え入れる環境がばっちり整ってから連れて来れば、犬が無駄にストレス感じて“飼いにくい(ように見える)犬”になる確率を下げることができる。

更に言えば、犬に関しては何百という犬種がありまして、その時点で難易度が違ってきます。
フィギュアスケートも、簡単なジャンプ、難しいジャンプがあるように、割と誰でも飼いやすい犬種、とてもじゃないけど一般家庭には向かない犬種があります。
また、単に難易度だけの問題でなく、相性というのもあります。
浅田真央ちゃんはおもしろい事に、最も難しいと言われるアクセルというジャンプが得意でしたが、簡単とされるはずのサルコウというジャンプが苦手でした。
誰でも一番飛びやすいはずの、トーループというジャンプより、難度としては真ん中のループというジャンプの方が跳びやすいと言っていました。

犬種選びでも同じ事が言えます。
飼い主さんとの相性も、飼育環境との相性もある。
例えば留守番の長いお宅にダックスやプードルはお勧め出来ません、柴やチワワの方が比較的留守番は平気です。
逆に犬をベタベタ可愛がりたいタイプの方に柴犬は絶対向きません、プードルやゴールデンレトリバーにしておくべきです。

多頭飼育をするとなれば犬同士の相性も考えなければならないので、更に複雑になります。
勿論、プードルを選んだからと言って、全てのプードルが飼い主さんとベタベタしたがるわけではないし、例えば二匹目を飼い始めたら先住犬が攻撃的になってくるなど、その時の環境、犬の月齢(精神的成長度)、季節や天候の影響、いろんな事で犬の心理状態や行動パターンは変わりますから、犬種だけで必ずこう!とは言えません。
でも犬種による傾向はバカにしたものではないので、見た目の好みや大きさの問題だけでなく、しっかり性質も加味して選ぶべきです。
(と言うか、もっともっと現場に、そういう突っ込んだアドバイスが出来る販売員が増えるべきです)

そんな具合で、自分と相性のいい犬が選べてマッチングが成功したら、犬との生活はより楽しく、犬の方も少しでも高い満足度で暮らせます。
マッチング失敗して相性の悪い人と結婚しても苦痛ですよね?それと同じです。
「サルコウは苦手だけどアクセルは跳べる」となれば、オリンピックはムリでも、うまくアクセルで得点を得てちょっとした大会では表彰台に乗れるかも知れない。
でも苦手なサルコウだけを必死でプログラムに組み込んでいるだけでは、いつまでも成績は残せません。

勿論、本当は、サルコウも克服して全てのジャンプをより美しく決められるようになり、スピンもステップも極めて、オリンピックに行けるレベルに到達できる!っていうくらい、“犬を飼う事”を極められる人だけが、犬を手に入れるっていうのが理想だとは思います。
でもその理想はあまりに高くてちょっとまだ現実的じゃないですし、そうなると正直、私も犬飼えないですし、その理想だけを掲げても『今現在、既に世間で飼われている犬達』の幸福度は上がりませんし。
だから、「君はこれがうまいね、これを武器にして0.1点でも稼ごうか」「こうすれば君でもこれが出来るね」と、生徒さんの「出来る」を一つでも増やし、ちょっとでもいい成績に近づけてあげることが、『街のスケート教室の先生』の役割かなと思います。

というわけで愛犬家の皆さん、犬界のオリンピックは次元の違う話でも、トリプルアクセルは不可能でも、少しでも難しい技が出来るように、頑張りましょうね。笑
 
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犬自身に考えさせる

犬が『悪いこと』をした時、皆さんはどうしていますか。

ゴミ箱を漁る、テーブルに手をかけたり乗ったりする。
人の手を甘噛みする、家具をかじる。
外を歩く人や犬を見て、家の中からうるさく吠える。
散歩中にぐいぐい引っ張る、リードを咬むコもいます。

挙げたら『悪いこと』ってキリがありませんね。
子犬を飼い始めた時なんて特に、犬がやるのは『悪いこと』だらけ。
それにばかり目が行って、飼い主さんは、一日犬を叱ったりやめさせようとしたりするばかり…なんてことは、珍しくない話です。
時にはまだ犬が『悪いこと』に至っていないのに、前もって飼い主さんが「あ~ダメダメ!」なんて言いに行くようになることも。

例えばまだ家具をかじってはいなくて、ニオイをチェックしているだけだったりする場合ですね。
犬自身はもしかしたら、その時はかじるつもりはなくて、放っておけば「やっぱりやーめた」と自分で別の行動を選んだかも知れない。
だけど飼い主さんが「いつもあそこをかじる」と思い込んでいると、そこに近付いただけで制止しに行ってしまう。
何でもかんでも先回りして犬の行動にいちいち介入する、これはとっても良くないです。

「うるせーなぁいちいち、わかってるよ…もう俺だって大人になってきたんだから、いちいち口出されなくたって、自分のやる事は自分で決めるっつーの。」

という具合で、犬をイライラさせる事もあれば、

「そうやっていっつもあたしのやる事ママが決めてきたから、あたし、自分で自分のことな~んにも出来ないの!ねぇママ、こういう時どうすればいいの?ママ、ねぇ、ママ!ママ!ママがやってよ、ママってば~!」

と、依存犬を作り上げる事にもなりかねない。
個人的には後者の方がより不健全だと思います。

そういうわけで、犬が『悪いこと』をした時に、いちいち飼い主さんが介入しに行くだけでも、犬の発育を妨げるリスクはありますが。
更に、その介入の仕方によって、その後を左右していきます。

皆さんは、犬が悪いことをした時、どういう介入の仕方をしていますか?
つまり、犬がやっている事を、どうやってやめさせていますか?

大きな声で叱る?
ものを投げ付けて驚かせる?
おやつなどで気を反らす?
オスワリなど別のことをさせて褒める?
時には、叩く人もいらっしゃるかも知れません。

『やり方』はいろいろあると思います。
いつの時代も、「どのやり方が正しいのか」で、一般の方から専門家まで、論争が耐えません。
論争は『相手を言い負かす』ために行われるのではなく、『物事を洗練するため』に繰り返されます。
これから新しい研究結果や考え方が出てくると、私がこれから言う事も、数年後には私自身が否定しているかも知れませんが。

今現在、私が大切にしている事を書いてみます。

まず、どのやり方を取るかの前に、考えてみて欲しいことがあります。
その、犬がやっている『悪いこと』は、『犬にとって悪いこと』ですか?
『人間にとって都合が悪いこと』ではありませんか?


犬というのはそもそも、集団生活者です。
集団生活である以上、必ず『秩序』『ルール、マナー』が発生します。
それが保たれなければ集団生活は成り立ちません。
だから犬は生まれた時から『教育』を受けます。
親やきょうだいからいろんな事を学び、成長していきます。
犬の世界には犬の世界のルールがあるのです。

私は犬が『悪いこと』をしている時に、まず、それが『犬の世界に於いてもダメなこと』なのか、『人間社会の中にいるからやらないでほしいこと』なのかを考えます。

大抵は、人との生活の中で発生する『悪いこと』は、『人間にとってやらないでほしいこと』である事がほとんどです。
「テーブルに上がる」という行為なんて、犬にとってはいいも悪いもありません。
人間の世界でなければ「テーブル」という存在がそもそもないですしね。
ゴミ箱を漁るのも、リードを咬むのもそうです。
『犬が本来持って生まれてくる行動パターン』の中に、いいも悪いもない行為です。

人間社会で暮らしてもらわなければならない以上は、放っておくことも出来ませんから、「テーブルには乗らないで」「ゴミ箱は漁らないで」「リードは咬んではいけないもの」というのを教える必要はあります。
その、『ただ犬が“知らない”だけの事』を教える時に、皆さんはどうやって教えますか?

自分だったら、『初めて知ること』を教えられる時に、いきなり怒鳴ったりものを投げ付けられたりして「それじゃダメなんだよ!」って言われたら、どうですか?

少なくとも私だったらめちゃめちゃ腹が立ちます。
何度も教えられても自分が出来ないんだったら、怒鳴られても仕方ないと思えますが、初めてのことなら「もっと他に言い方あんだろ!!」と思います。
そんな教え方をしてくる人のことは、やっぱり、好きにはなれないでしょう。
尊敬も出来ません。
長く付き合っていく中で、怒鳴られる以外に沢山いい印象を抱く出来事が起これば、親しくもなっていくかも知れませんが、時間はかかるでしょうね。

そういうわけで私の場合、特にまだ何にも知らないだけの子犬に対しては、『叱る』という方法は取りません。
もともとビビリな子犬なら、叱って教える事を繰り返す中でどんどんビクつきやすくなり、いつも上目遣いで飼い主の顔色を窺うような成犬になってしまう事もあり得ます。
『やっちゃいけない事を正しく理解する』というより、『何をやっても飼い主に怒鳴られるんじゃないかと、飼い主の動向を気にしている』だけになる事もあり得ます。
例えるなら、

万引きをして親にきつく怒鳴られて殴られて、もう二度と万引きはしなくなった。
けれど、「万引きが何故いけないのか」を理解したと言うより、「親に怒られたくないから」もうしなくなっただけ。

と言う感じですかね。
人間の子に対してもよく「お店の人に怒られるからやめなさい」「パパに怒られるよ」なんて言っちゃいがちですが、あれ、良くないと思うな~。
『怒られるからやらない』は、将来応用利かないよ、きっと。

逆に、負けん気の強い犬なら叱られることで「何を~!」と反抗してくる事も考えられます。
そこで更に飼い主が強く出れば『ケンカ』になります。
最終的に、「最初、何で叱られたんだっけ?」ってなっちゃう事も。
これは、ビビリな犬を強く叱って、犬が恐怖の限度を超えてパニックになっちゃったような場合も同じですね。
「最初の話はなんだったんだっけ?」で終わってしまい、正しい学習が詰めない。

また、負けん気の強い犬が反抗してきた時に飼い主さんが退いてしまえば、犬は『自分の主張が通る方法』を学習してしまいます。
つまり大抵の場合『“咬む”まですれば飼い主が折れる』ことを覚えるわけですね。
そんな事になるくらいなら、最初から、反抗されない教え方を選んだ方がいい。

ちなみに『叱る』ってわかりやすくて手っ取り早いので多くの方が真っ先にやりがちなんですが、私から見ると、実は最も奥深くて難しいやり方だと思ってます。
“上手く”“正しく”叱るって、とってもとってもと~っても難しい!
私は別に「叱るの反対!」「叱るなんてそれだけで虐待!!」という考えではありませんが、“ちゃんと叱る”ってそう簡単にできるもんじゃないと思ってるので、お客さんには勧めません。
でも正直、全く叱らずに犬が育つとも思っていません。
最近「結局のところ、犬をきちんと育てられる人って、ここぞという時にうまく叱るセンスがある人なのかな」と思う事も続きました。
まぁそのあたりはまた別の記事で掘り下げて。

話を戻しまして、そういうわけで、犬をやたらめったら叱る事、叱る(怒る)という方法だけで人間社会での生き方を教えるのはいかがなものか、とは思って頂けたでしょうか。
叱るというやり方は特に、『人間側の都合の押し付け』にもなりがちだと思っています。
お話ししたように、別に犬にとっては『悪いこと』でも何でもない場合がほとんどなのを、人間の都合でやめさせる。
有無を言わさず、犬に選択の余地はなく、強引にやめさせる。
“叱ってやめさせる”のは、多かれ少なかれ、そういう事です。

これは、俗に言う『天罰方式』も同様です。
天罰方式とは、犬がやった事に対し、人間が直接叱るのではなく、天罰が下ったように見せかけて、「これをやるとろくでもない事が起こる…」と犬に思わせるというもの。
犬に気付かれないよう水をかけるとか、空き缶を犬の傍に投げて大きな音で驚かせるとか、酢を薄めたスプレーを吹きかけるとか、いろんなやり方があります。
人間が直接手を下さないので、人間に対して悪いイメージを抱くリスクが低く、“自業自得”で懲りさせるというような理論ですね。

個人的には、天罰方式は、「一発で懲りてくれればまだしも、何度も繰り返さなければならないようならもうアウト。“天罰”でないことなんてすぐ気付かれる。犬はそんなにバカじゃない」と思ってますし、まあ天罰と思っていようが人間の仕業と気付かれようが、“犬自身に物事を考えさせるやり方ではない”と思っているので、私はやってません。

私が犬に物事を教える時、近年最も大切にしているのが、『犬自身に頭を使わせる事ができるかどうか』なのです。

犬はとても知能の高い生き物だと思います。
恐らく、人間の研究が追いついていないだけで、今現在解明されているよりもずっとずっと高度で複雑な思考回路を持っています。
少なくとも、私自身は、犬と暮らしていてそう思います。

「そんな事ない、うちの犬はバカ」と思う方がいらしたら、はっきりと申し上げたい。
それはきっと、あなたがその犬の能力を充分に引き出せていないだけです。
そのコが本来持っている力を充分に発揮できるように育ててあげなかっただけです。

ごく稀に私から見ても「この犬は発達障害とか何かかしら?」と思う犬もいますが、ごくごくレアなケースです。
犬を馬鹿にしないでください、犬のせいにしないでください。

犬の知能、感情の高度さは、世間で思われているよりずっとずっと高い。
それをきちんと発揮できるように育ててやれれば、犬はとっても面白い。
逆に言うと、これだけ高度な知能を適切に発揮させてやれなければ、どこかで犬はそれを持て余すと感じます。
どんな事をして遊ぼうかと、人間の予想を超えるイタズラを考え出したり、飼い主さんを振り回す事をおもしろがってイタズラをやめないなんて事もしばしば。
「どうして言っても言ってもうちの犬はわからないの!?バカなの?」とお嘆きの飼い主さん、実は犬に踊らされているだけだったりするのは、実によくある話です。

そんな事になるくらいなら、どうせ教えなければならない人間社会のルールです、教える時にせっかくだから頭も使ってもらった方がいい。
「どういう事なんだろう?」「ママは今、ぼくに何を求めてるんだろう?」と、犬自身に考えさせるようなやり方が出来たら、犬は使うべき知能を使ってエネルギーを発散することが出来るので、満足度の向上にも繋がります。

そうやって、いつも自分の頭で物事を考え、自分で次の行動を選んで生きてきた犬は、『不測の事態』にとっても強いです
今までぶつかった事がないような困難に出会っても、どうするべきかを自分で考えることができるから。
『頭を使うこと』自体に慣れがないと、犬はすぐパニックになったり、情緒が不安定になったりします。

例えば散歩中に、今まで見たこともないような大型犬に出会って「恐い」と思った時。
頭の使える犬ならば、

「うわ、どうしよう…こっちまで来るかな…道の反対側に行こうかな、それともぼくがここで曲がっちゃおうかな。あ、あっちに渡って、ママの陰に隠れて歩けば、大分安心かな。」

なんていう具合で、「どうすればいいか」を考え出すことができたりします。
でも考える事自体あまりやってきていない犬だと、

「うわ、どうしよう…こっち来る…あぁ、どうしよう…どうしよう、どうしよう、うわぁぁぁどうしようこんな近くまで来ちゃったぁぁぁ!!!」

で、パニックでギャン吠え。なんていう具合になりやすいんですね。
普段からトレーニングしとかないと、脳もこういう時すぐフリーズしちゃうんですよ。

こんなわけで、『頭の使える犬か、考えられない犬か』は、犬自身が無駄に切羽詰まらず楽に生きていけるかどうかにも繋がります。
犬のためにも、持てる能力は充分に引き出してやるべきだと私は思っています。
病院に行った時、トリミングに出した時、普段行かない場所へ遊びに行った時など、犬が「どうすればいいんだろう」と思う事態なんて、生きてる間にいくらでもある。
そういう時にいちいちパニックになる犬と、そういう時でもどっしり構えて「じゃあ、こうしよう。」「こうしてればいいかな。」と自力で『答え』を掴める犬とでは、精神的負担は雲泥の差。
『考える力』、是非伸ばしてあげたいものです。

この『犬に考えさせられるかどうか』の観点から、私個人は、『オスワリなど(人間にとって)好ましい行動を命じて、出来たら褒める(おやつ)』というやり方も、極力避けています。
だって「オスワリ」って言っちゃったら犬が「どうすればいいんだろう」って考える余地はないですもんね。
座ればいいっていう正解をこっちから言っちゃってるんだもん。

こういうやり方をする場合にありがちだな~と思うのが、飼い主さんがコマンド出しすぎ人間になってしまうこと。
犬が少しでも飼い主さんの意に反する動きをした時、すぐにコマンドで犬をコントロールしたがる、コマンドでコントロール出来ればいいと思うようになってしまう方、少なくありません。
(もっとも、それが正しいしつけだと教室などで教えられれば無理もない)

病院の待合室でもフセ、マテ!
犬がちょっとでも動くとほらほら、オスワリ!フセ!
ドッグカフェでもずっとオスワリ!フセ!
好きな人と出会って喜んでいる犬に、スワレ!スワレ!!
初めての場所に来てソワソワしている犬に、オスワリ!オスワリは!?
不安や恐怖から犬が右往左往していても、オスワリ!マテ!!

コマンドを出して犬がそれに従う瞬間は、人間にとって『強化子』になります。
言われたその瞬間だけでも犬が座れば、望んだとおりの結果が得られたということになるので、人はまたコマンドを出したくなるものです。
これは、叱ったり天罰方式で罰を与えたりして、犬がその時だけでもイタズラなどをやめる場合も同じです。
その時は人にとっては『自分の思ったとおりになった』つまり“効いた”と思うわけで、次も叱ればいい、罰を与えればいいと考える。
手っ取り早く、その場で『望む結果が得られた』行為は、どんどんやろうと思うようになるのが、動物の性です。

なので犬がコマンドを聞く場合、飼い主さんはコマンド人間になってしまう。
犬が座るのが「オスワリ」と言われた直後三秒間だけでも。

私はよく、「オスワリと言われた時に、体だけでなくて“気持ちも座れれば”OKですけどね。」という言い方をします。
格好はオスワリの形になっているけれど、心はソワソワ、飛び付いている時とな~んにも違わない気持ちで座っている。というパターン、とっても多いです。
そうした場合、飼い主さんに「よし」と言われたら、あるいはふとした拍子に、結局またすぐ飛び付いたり走ったりしてしまう。
それだと何にも意味がない、と私は思います。

散歩に行く時、ドアから勢いよく飛び出すから、オスワリと言う。
犬の気持ちは、「位置についてよーいドン!」の、「よーい…」の状態。
だからドアを開け、よしと言った瞬間、「よし」を「ドン!」にして猛ダッシュで出て行く犬。
あるいは、辛うじて座ってるけど、ドアが開いたらもう待ちきれなくて走っちゃう。

これ、何のためにオスワリって言ってるの?と私は思うんです。
せめて「よし」と言われるまで待てれば、ドアの外に人や車が通りかかってないことを飼い主さんが確認できるかな。っていう程度の意味しかない、と思う。
でも結局その後は引っ張りっぱなし、走りっぱなし。
それを更にコマンドでずっと脇につかせて歩く事ができるところまで持っていけばある意味大したものだけど、私としては、リードであれコマンドであれ犬を縛り付け続ける散歩は魅力を感じません。

でもやっぱりコマンドを出したいタイプの方も沢山います。
事あるごとに先回りしてコマンド出しちゃう、行きすぎて「いつ犬は自由行動できるの?」っていうくらいの人。
それが、きちんとした関係から指示に従っているペアならまだしも、おやつがないとコマンドも聞かないから常におやつを持ち歩いている…っていうケースだと、正直、閉口してしまいます。
そういうペアってしつけ教室経験者だったりすることが多いから、尚更滅入ってしまいます。
飼い主さんが正しく吸収して来られなかったのか、教室での教え方がそもそも間違っているのか…実際は、両方のケースがあるんでしょうね。

「こういう時は吠えるんじゃなくて座りましょう。」と教えるために、「オスワリ」を教えておいて、吠える状況でコマンドをかける。
こういう教え方も、結局は、ちゃんとやればいい結果は得られます。
私も全くやらないわけではありません。
大事にしているのは、『犬がそろそろ何を求められているのか理解してきたら、人からの働きかけを減らしていくこと』です。
コマンドはあくまで導入であり、ヒントの一つ。
結局は犬が自発的に座るように誘導していくわけで、いつまでも「オスワリ」って言い続けるだけでは、『親に言われなきゃ出来ない子』から次へ進めないんですよね。

あるいは、「もうわかってるよ!座りゃあいいんだろ!!」って犬を苛つかせたり、しつこく言い過ぎて反発心を招いたりってことも。
親が口うるさく繰り返すと、子供って尚更言う事聞かないでしょ?

だから本来はいつまでも飼い主からのコマンドで動くだけではダメなんです。
でも結局、犬の気持ちがきちんと伴っていないと、「オスワリ」「フセ」と言われた直後三秒間しか座ってないから、飼い主はまた「オスワリ」と言う。
きちんと自分から空気読んで、この場ではどう振る舞うべきか考えて、落ち着きを備えた犬であれば、オスワリとかフセとか言われなくてもその場に相応しい態度を取れるのに。

そう言えば以前、あるドッグカフェに行った時、そこの看板犬がひどいもんでした。
スパイクチェーンをつけられて出て来て、オーナーにガシガシリードを引かれ、「マテ!」と顔の前に手の平を出され続けて、でも犬の目はギラギラ、「いつ飛び出してやろうか」状態。
一方でうちの幸一とちゃちゃは、私は一言もコマンドかけてないけど、私の後ろに下がって静か~に伏せて「うるせーの来たよ…勘弁して……」と遠い目。
リードすら張ってなくて一切のコントロールを受けていないうちの犬達と、カフェの看板犬との差に、あのオーナーや周りのお客さんはどう考えただろうなぁ。
思う事あるだろ~とこっちは思うけど、きっとあの場にいた人達の頭の中は「うわぁ、本物のシェパードだぁ」でいっぱいだったんだろうな(苦笑)

コマンドを出すことについて掘り下げるとキリがないので、本日のメインテーマ『犬に考えさせること』に話を戻しますが。
最初からこちらがコマンドを出してしまうというのも、犬自身に考えさせるという点では、今ひとつなところがあるやり方だということは、共感して頂けたでしょうか?
この方法の副作用として飼い主さんがコマンド人間になった時、いかに犬をうんざりさせるか(たまに私が「ねぇ、うるさい。」って言いたくなっちゃう時ありますからね。)、あるいは常に犬の行動をコントロールしてしまうことで犬を歪ませてしまうというリスク、是非頭に置いておいてほしいと思います。

じゃあ、結局、どうすればいいのさ!?というお声がそろそろ聞こえてきそうですが。
ここで文章だけで「こういう場合はこう。」と説明できるようだったら、本だけ一冊出して、私はドッグトレーナーをやっていません。
結局、犬が取る行動も無数にあれば、同じ行動を取っていても犬の性格やバックグラウンドで対応は違ってくるし、こちらの対応で犬に変化が見られれば、じゃあ次はこういう風にね。とその時々で細かく変わっていくわけなので、『土田が思う正しいしつけ』をここに書き切る事は不可能です。

でも、参考までに、ちょっとだけ書いてみたいと思います。

例えば、最近レッスンに行ってる、ある柴ちゃん。
彼女は、ご家族が一人でも別室に行ってしまうと、部屋の戸をガリガリ引っ掻いてしまうということでした。
なので私は、「部屋に残っている方が、犬とドアの間に割って入って、犬に向かって立ってみてください。犬が左右に抜けようとするようなら、バスケのディフェンスのように立ちはだかって。」とご説明しました。

この時私は『無言で』というのを強くお勧めしています。
何も言わないくらいの方が、どういう事なのかを犬に考えてもらうには好都合だと思うからです。
こらとか何とか言う必要はありませんし、別に恐い顔をする必要もありません。
普通の真顔、真剣な顔で結構です。
飼い主さんには、「○○ちゃん、ママが今あなたに何を言いたいか、わかる?考えてごらん、時間がかかってもいいから。」という気持ちで、立ってもらいます。

この柴ちゃんの場合は反応が良く、すぐに「なんか、止められちゃったぁ。やめなさいって言われてるみたい。じゃあ、いいや。」と、座ったり、部屋の隅に行って伏せたりしました。
犬が自らそういう態度を取ったところで、初めて、笑いかけて「そう、イイコ。」と声をかけてあげる。
そうすると犬は、「あ、やっぱりそういう事だったみたい。」と理解します。

こうして、曲がりなりにも『自分が選んだ行動』を褒められる、認められることによって、犬も自尊心が伸びます。
あくまで人間の役割は『(ガリガリするのをやめるように)誘導する』事であって、最後の“答え”を掴むのは犬自身。
私はこういう風に、犬に物事を教えています。

ちなみに、大前提ですが、イタズラや悪さをするその時の対処だけでなく、散歩をはじめとしたストレスマネジメントがきちんとなされている上での、上記のようなやり取りです。
これ、やるべき事をきちんとやらず、犬がエネルギーを持て余してあれこれやらかしている場合は、「考えてごらん」なんて言われてもそんな余裕ないって事もあり得ますし、逆にきちんと欲求不満を解消してあげたら、イタズラに直接対処しなくても落ち着いて寝ている犬になる事もできるかも知れない。
結局トータルプロデュースです。
ここに書いてあることだけマネしてみて「うちの犬ダメだわ」なんて言わないでくださいね。

実際は、私が取っている方法は、なかなか一般の飼い主さんにとっては面倒くさい事が多いです。
犬に考えてもらうためにはじっくり時間をかけてやり取りしなければならない事もあるし、犬が何かをするたびに、その都度きちんとやり取りしに行かなければ、「うちの飼い主っていい加減。自分もいい加減にしてればいいや。」となってしまう。
でも実際、生活していると、すぐ犬の傍に飛んでいけないシーンなんて沢山あります。
だから遠くからでも「こら!」とか怒鳴ってやめてくれるなら楽ちんだし、一回、二回やってみてすぐ問題行動そのものがなくなってくれればと思うから、即効性のあるインスタントなやり方に飛び付きたくもなる。
テレビ的には劇的にその場で結果が出てほしいので、かつてはテレビによって浅いやり方が広まってしまった事もありました。

でもね、生き物を育てるって事が、そんなに簡単に行くわけがないんです。
痛みも感情もある命と向き合うって事が、そんなに手っ取り早く片付くわけがない。
金髪にして煙草吸ってる女子高生を、一発で、黒髪膝下スカートの優等生に変化させる方法なんて、ありますか?
もしかしたら「黒髪にしてスカート長くして学校を卒業するまで通ったら、一千万円あげる」と言ったら髪は染めるかも知れませんが(笑)それってその子の内面が膝下スカートの優等生と同じになるわけじゃないですよね。

どうして世の中に何千人もドッグトレーナーが存在していて、決して安くないレッスン料をもらって仕事して、成り立っているのか。
なんで同じドッグトレーナーなのに、それぞれ言う事が違って、何十年も議論があって、飼い主さんが方法選びに困る事態になっているのか。
そのことの意味を考えると、少なくとも、テレビやネットで見かけた誰でも出来そうな方法で、全ての犬が治るわけがないという事は、おわかり頂けると思います。

『大切な事』は結局のところ、人それぞれです。
私は私が経験した事、犬達に教えられた中から、今最重要視しているのが『犬自身に考えさせること』『頭の使える犬にしてあげること』だから、一見犬がすぐ治るように見えない事をやっています。
考えさせる事よりも、「犬にストレスをかけない事が大切だ」と言う人もいるでしょうし、「早く結果を出してやった方が犬だって楽だ」と思う人もいるでしょう。
飼い主さんにとっても大切な事はそれぞれ違います。
「納得できない」と思いながら方法だけ真似ても絶対にうまくいかないので、しっくりくるものを探してください。

ただ、やっぱり、飼い主さんさえ良ければいいというわけにはいかないので。
これ、犬でなく車や楽器だったら、「そんな使い方して、最終的に無理がたたってぶっ壊れたって知らないよ!」と言えるのですが、やはり犬が関わってくると、そうも言えないので。
全ての飼い主さんが、いついかなる時も、自分達だけでなく本当に犬のためになるのかどうかということを念頭に置いて、犬と向き合ってくださるよう。
私のブログが、誰かのヒントになっていければ、幸いです。

犬を長く留守番させてはいけない理由

2017年、明けましておめでとうございます。(遅いけど)
今回のテーマは、『犬を長く孤独にさせてはいけない理由』です。
ストレスマネジメントによる育犬にお詳しい方には、既に「犬を長く留守番させてはいけない」という事は基礎として知られていますし、私も何度か書いてきているので、「また?」と思う読者さんもいらっしゃるかも知れませんが。
今回は、現在一歳三ヶ月になった従姉妹の娘にまつわるエピソードから、より説得力を持たせて掘り下げたいと思いますので、最後まで読んでみてください。

まず初歩から。

犬を長く留守番させなければならないお宅は、犬を飼うには不向きです。

これは倫理的にとか感情問題によるものでなく、科学的に解明されつつある揺るぎない“事実”です。
犬を孤独にさせる時間が長いお宅は、それだけでショップやブリーダーから犬の購入を断られてもいいというくらい、犬にとってはでっかい問題です。

「長い留守番」の目安は、一日の中で六時間とされています。
これを超えると犬のストレスレベルがぐっと上がってきます。

あと注目するべきは、就寝タイムの過ごさせ方。
いくら日中の留守番が六時間を切っていても、「夜、犬だけリビングに残して人間は別室へ」という過ごし方をしているお宅の場合、結局そこで犬は“留守番”です。
夜をひとりで過ごさせたら、六時間って結構楽々超えてしまいますよね。
(だからと言って、同室で室内フリーで寝ましょう今すぐに!とやりさえすればいいかと言うと、そこまで単純なもんでもないと私は思うのですが、ちなみに土田は同室フリーで同じ布団で寝てます)

日中の留守番も長い、夜もひとりで寝ている。となると、犬は『ひとりの時間の方が長い』という状態になってしまいます。
これが、犬という生き物にとっては、非常に不自然でしんどいことであり、本来の在り方とかけ離れてしまう分、心の状態や発育を妨げてしまう要因になるのです。

犬という生き物は、本来『群れ』を作る動物、すなわち集団生活者です。
この『群れ』という言い方を使うとまた違う方向の議論が勃発してしまったりするのですが、私が『群れ』と言う時は、こういう風に捉えて読んでみてください。

人間社会にもあちこちに『群れ』があります。
家族という単位の群れ、学校ではクラスという単位の群れ、部活動という群れ、大人なら会社という群れの中での上下関係、信頼関係が築かれて、犬同様に集団生活者である我々人間も、常に他者と交流社会と関わりを持って暮らしています。

このような“社会”から一切隔離されて、自室でたった一人、一日のほとんどを過ごす生活を想像してみてください。
皆さんだったらその時間、何をして過ごしますか?
何日平気で過ごせそうですか?
ちなみにその部屋には、テレビもスマホもパソコンもありません。
犬はそういうものを見る事が出来ないわけですから、そういう状態で日がな一日、自分の意思ではそこから出られないことを想像してみてくださいね。

まず、すさまじく退屈で苦痛であるという事はおわかり頂けるでしょうか。
以前テレビで、外国でしたが、犬をそういう目に遭わせる飼い方をしていたために問題犬になってしまったお宅のお父さんに、ドッグトレーナーが「犬の気持ちを体験してみましょう~」と、何もない部屋にお父さんを閉じ込めてたった三時間過ごさせた様子を見かけました。
お父さん、半泣きになっていました。
この苦痛をいまいち想像しきれない方は実際やってみると良いと思いますよ。
寝るのは禁止で(笑)

人間は当たり前に暇つぶしが身の回りに沢山あるから、なかなか想像できないものです。
「留守中は寝て過ごしてるだろうから」と、それでよしと思う方も多いです。
でも留守中に穏やかに寝て過ごせるのは、その分、留守以外の時間に充実した“労働”(←別記事で詳しく。)やコミュニケーションがあって、きちんと満足できればの話です。
犬を満足させる事が出来ないまま、留守番も長い。という家庭が、本当に多いです。

核家族化の社会で、一家族当たりの人数が少ないので、留守番が長いお宅が多いのは無理もないです。
昔のように、三世代が一つ屋根の下に暮らしていて、日中もおじいちゃんおばあちゃんがおうちにいる。とか、奥さんが専業主婦でおうちを守っている、というのが当たり前の環境は、留守番問題的には、犬の飼育には適したものだと思います。

犬は『社会性の高い動物』です。
社会性が高いというのは、言い換えれば、『社会と繋がっていなければならない』ということです。
生まれ持った本能だけでなく、『他者』との交流を通して、後天的に学習を積む事で、一人前になっていきます。
イヌ科の動物が「一人前になる」というのは、ざっくり言うと、『仲間とうまくやれるようになること』と『狩りの方法を覚えること』です。
と言うか、『狩り』もチームワークで行う動物なので、『狩りができる=仲間とうまくやる』ということでもありますね。

生きるために絶対に欠かせない、食べる事、すなわち狩り。
それを学ぶというのが、犬の“成長”にとって最も重要な事柄の一つであり、犬同士の“遊び”というのはみんな“狩りの練習”に繋がっています。
そして、その“遊び”を通して、『仲間とのコミュニケーションの仕方』も学んでいく。

遊んでいる時に相手が「もう嫌だ、やめよう」って言ったら、そこで退いて、クールダウンの時間を取る。
退く事ができないと相手に「いい加減にしろ!」と怒られたり、あるいは第三者から「お前、やりすぎだよ!」と怒られたりして、駆け引きのボーダーラインを学んでいく。
“調和”を取れない個体は嫌われ、群れから浮いていきます。
集団生活者である犬が、集団の中で一人前の存在として受け入れられ、馴染んでいくために、子犬は生まれた時から“教育”を受ける。
親犬から、あるいは先に生まれたお兄ちゃん・お姉ちゃん犬から。

それは頭と身体を使う日々です。
『他者』と周囲の環境から沢山の刺激を受け、心身を発育させていく。
“教育”なしに犬は一人前にはなりません。
一人前になれないことは、本来、死を意味します。
ちなみに、この『社会化』に最も重要な時期が、生後三ヶ月までと言われています。

日本では残念ながら、その大事な大事な『生後三ヶ月まで』を、まだまだ沢山の犬が棒に振っています。
長くなりすぎるので省きますが、子犬が産まれたところから一般家庭に渡ってくるまでの流通ルートが、犬の健全な発育にとってとてもじゃないけどプラスとは言えないケースが、まだまだ多いのです。
単純に、皆さんがよく目にする、一般的なペットショップの環境を思い描いてみてください。
狭いショーウインドウの中で一頭一頭閉じ込められて、ごはんと水が提供され、おしっこウンチが片付けられるだけの生活。
その日々のどこに、頭と身体を使い、犬として一人前になっていくために必要な要素があるでしょうか。
(そうでないショップも増えてきていることは嬉しい限りです。これからも一人一人の努力がペット業界の底上げをしていくと信じてます)

ただでさえ、一番大切な時期を棒に振った犬を、留守番の長い家庭に売ったらどうなるか。
留守番=どう頑張っても、『他者との交流』はありません。
四六時中、親やきょうだいと共に居て、沢山の刺激を受け学習を積んで行かなければならない月齢の子犬を、それと真逆の環境に置くということです。
社会性の高い動物は、社会から切り離されると、まともでいられなくなります。
社会と繋がっているのが本来の姿であり、真逆の不自然な状況に置かれるのですから。
金魚を海水では飼えないのと同じような話なのです。

集団生活の生き物にとって、『孤独』はそれだけで有害です。
『社会性の高い動物』=『他者との交流が必要な動物』を、他者と交流できない状態に置く事は、それだけで犬の幸せの質を著しく落としてしまう事なのです。
そういう意味では「外飼い」など、犬を人間の生活から切り離す飼い方も全く同じです。
いくら家に人がいても、『交流』が出来なかったら何の意味もありませんもんね。

「でも、そういう飼い方でも別に普通に犬を飼えているお宅なんて、沢山ある」と思う方もいらっしゃるかも知れません。
それはあくまでその犬の器が大きいだけで、だからと言って、人間のエゴを押し付けるっていうことは、減っていってほしいのです。
あるいは、一件『なんの問題もなく飼えているように見える』だけで、専門家が見たら、そのコの心のアンバランスさが露呈する可能性は充分にあります。
人は『人間が困る』形で犬の行動に出てきたら「問題行動」と呼びますが、人間を困らせない「ストレス行動」なんて、沢山沢山存在しますから。

充分な『交流』『刺激』を得られないと、ここまで発育に差が出る。

さてここで、私の従姉妹の娘が登場します。
彼女は、この記事を書いている今現在、一歳と三ヶ月を過ぎたところです。
最近とても歩くのが上手になって、「ついこの間までのよちよち歩き」を想像してこちらが動いていると、思いがけない速さでついてきていたりするので、うっかり戸で挟みそうになったりと、驚かされる事が沢山あります。
まだ言葉は喋りませんが、一歳ってもうこんなにいろんなことを認識してるものなのか~と思わされます。
ぐんぐん成長していく子供の伸びっぷりに、ついていくのが精一杯と言うか、感心させられてしまいます。

そんな彼女が、一歳と二ヶ月にまだならないくらいの頃、母である従姉妹から聞いた話です。
その頃、娘は、まだつかまり立ちくらいで『歩く』にはほど遠い状態でした。
そんな娘を見ながら、従姉妹は言いました。

「ちょっと前に、一歳二ヶ月の男の子を見たけど、歩いてたし、もっといろいろ自分でしてたし、喋ってもいた」

と。
私は、

「へぇ、普通男の子より女の子の方が発育早いのにね。」

と返しました。
すると従姉妹は、自分の娘と、その男の子の置かれている、環境の違いについて話してくれました。

従姉妹とその娘は、普段、アパートで二人で過ごしている時間が長いです。
旦那さんは結構お勤め時間が長いので、ほとんど家に居ませんし、二人とも実家は気軽に帰れる距離ではありません。
引っ越した先に新しい友達や知り合いというのもなかなかできるものではなく、母子はほとんど二人きりで過ごしています。

一方、男の子の方は、お母さんはもう仕事に出ているので離れる時間も多いようですが、おじいちゃんおばあちゃんや他にも家族がいる環境で育てられているそうです。
沢山の人間に囲まれ、一人一人とタイプの違う『交流』をし、違う『刺激』を受けている。
この環境が、「本来女の子の方が発育が早いはず」を逆転までさせてしまえるのです。
環境の力って、こんなに大きいのです。

母親が発育盛りの我が子とずっと一緒にいてあげられるというのは、良い事だと思うのですが、やはりそれでも『母という刺激』しかない状況では、刺激不足なのですね。
脳を使い、脳を発育させていくには、『他者との交流』がワンパターンでは物足りない。
ならば、ワンパターンを下回る、孤独という環境がいかに有害か、おわかり頂けるでしょうか。

「そうは言ってもいずれみんなと同じように、歩いたり話したりできるようになるでしょ」と思われる方も多いかも知れません。
私も、従姉妹の娘に関しては、別になんの心配もまだしていません。
ただ、これが、犬となると話は別です。

犬だって、大事な時期を過ぎて青年期に入っても、ある程度は取り返せます。
だけど、適切な発育を経ることができず、生後半年、一歳…と身体だけ成長していき、『身体は成犬なのに子犬の行動パターンが抜けない犬』あるいは『適切に発育できず歪みを抱えた問題行動犬』が出来上がってしまった時に、ありがちなこと…

飼い主さんが犬を持て余して、育犬を諦め、自分達にとって楽な飼い方に走ってしまうパターンが、悲しいかなまだまだ実際にあるのです。

いつまでも部屋の中で走り回ったり、家具をかじったりして騒がしいから、サークルに入れちゃえ…
身体も大きくなってきて、こんな元気な犬家の中で飼えないから、車庫に犬小屋を置こう…
そうやって更に家族との交流の機会を失わせてしまったり。

落ち着きが出てこないし、力は強くなってきから、散歩すらも大変。
とてもじゃないけどこのコを連れて海や山へ遊びに行くなんて…
と、ますます社会との繋がりが薄くなる。

咬みつくようになってしまったから、もう家族が面倒を見るのに協力してくれない…
と、触れ合ってくれる刺激が少なくなって、ますます寂しい思いをさせひねくれさせる。

構ってほしくてワンワンワンワン、うるさいし近所迷惑だから、吠えたら水をかけるなどの「トレーニング」と称した対処を選ばれ、問題の根本を見つめてもらえないまま、辛い事だけが生活の中に増える犬もいます。

残念なことに、「ひとりで生きていく」と決めて、家族を全く寄せ付けなくなってしまうような犬だっているんです。
エサ皿をさっと側に置くのが精一杯、というような生活です。

こんな風になってしまったら、人間側だって「なんのために犬を飼ったんだろう」となるし、犬の方も、生きてて何が楽しいの?という状態です。
大事な時期に、適切な環境に置いてもらい、適切に接してもらい、きちんと発育させてもらえたら、室内フリーにしていたって落ち着いて穏やかに家族と過ごせる犬へ成長していたかも知れないのに。

「きちんとした発育」は別に、エリート教育を受けさせて、一流の優秀な犬に育てることではありません。
ただ、『本来犬が受ける教育』を与え、『本来の姿』に成長させてあげるだけのこと。
“普通の犬”にしてあげるだけのことなのです。
なんだけど、実際は、その“普通”に到達するだけで「すごくお利口!なんていい犬!よほどしつけがいいんですね!!」と言われる事が多いんだから、“普通のライン”の生活に届いてない犬達がいっぱいいるんだよなぁ…と思います。

あ、そうそう、この話とセットで必ず言わなければならないこと。
孤独がよくないと言っても、安易に多頭飼育に走ることだけは、絶対にしないでくださいね。
多頭飼育は場合によっては、留守番が長い事以上に、ややこしく犬達にとって辛い状況になり得ますから。

この事実が少しでも広まって、不適切な環境下で飼われる犬達が減って欲しいと願うのですが…
まぁ人間感情としては、一人暮らしなどの「留守番長くなる率高い」環境にいるからこそ、動物がほしいと思うのも、仕方ないよな~と思う側面もあります。
私だって頭じゃわかってても我慢できるとは思えない。
だから、「そういう人は犬猫を飼っちゃダメ!」だけではなく、「本来犬を飼うには適してないけど、こういう方法を取れば、お互いなんとか快適に過ごせるね」と言えるよう、いろんな選択肢が増えていったらなと思います。
犬だったら、保育園的なものは、どんどん出来ていいと思うんだよな~。
ちょこちょこ通わせたくても、やっぱり遠いと実際頻繁には通えないですからね…あちこちに出来ていいと思います。

あ、以前も書いた言葉ですが、我ながら犬の本質をよく言い表した一文だと思うので、それも載せておこう(笑)

**********

皆さんはどうして犬という動物を選びましたか?
猫やうさぎ、鳥、魚、いろんな動物がペットとして手に入る中で、何故犬を選びましたか?

私が犬を選ぶ理由は、“こんなに寄り添ってくれる動物はいないから”です。
猫でなく犬を選ぶのは、多くの方がこの理由からではないでしょうか?
撫でたり、抱きしめたり、くっついていてくれたり、一緒に何かをしたり。
そういう密なコミュニケーションに、猫よりも犬の方が応えてくれそうだと思うから、犬を選ぶのではないでしょうか?

そういう人間の願望に応えられる、犬という生き物。
つまり彼ら自身が、そういう願望を持っているんです
人の傍に居たいんです。
くっついていたいんです。
“共同作業”をしたいという欲が非常に強い犬も居ます。
だから人間が多少無茶を言っても応えてくれるし、我慢もしてくれる。

そうまでして人間と寄り添いたいという習性を持っている彼らにとって、

長く留守番させられることなんて、
ケージや繋ぎ飼いで隔離されることなんて、
それだけで虐待なんです。


**********

さて、2017年もこんな感じで、だらだらなげぇなぁ~っていう記事で行きたいと思います。
正確に言うと、行きたいわけじゃありません。
もう少し読みやすくまとめる能力が身につくものなら身につけたいです。


一緒に書くつもりでしたが、今回も予想を上回る長さの記事になりましたので…
犬にとって質の高い“労働”とはなんぞや?
どのような“労働”を提供できれば、多少留守番が長くとも、犬の毎日を充実させ、留守中に満足して寝ていてもらえるのか?という話を、後日書きたいと思います。

まぁ要するにまず散歩だけどね(笑)
 

せめて“最低限”を理解したい

友人のところでハムスターが五匹生まれたので、一匹いらない?と言われました。
以前からハムスターも一度飼ってみたいと思ってはいたものの、私は、その生き物について充分な知識を得たと自分が思えないまま、飼い始めることができない性分なので、ハムスターについて調べ始めました。
そこで出会った、長年ハムスターを飼育している方のホームページに、「厳しくも事実であって、完全に同意です!」と思うことが書いてあったので、ご紹介します。

「ペットを飼う」と聞けば、子供や女性のイメージがあると思います。しかし、「命のマネジメント」と聞くと、意味も分からないかもしれません。

正しい知識や、判断力がなくても、わずかなお金を支払うだけで、命の操作ができてしまうことが、ペットの飼育です。独裁者でも難しいのが命を操ることだと言われていますが、相手がペットなら子供でもできてしまうのです。
ペット業者は、「かわいい」や「いやされる」といった、人にとって都合の良い言葉(本来自分より下の相手に使ったりする言葉など)を使って、効率よく命を消費させるための、死の商人的な存在でもあり、ペット業の人たちは必ずしもペットの味方ではありません。
命を預かる人間として、初心者だから、子供だからという言い訳もできませんし、法律によって犯罪者になる可能性もあります。さらに、噛まれてケガをしたり、お金や時間を浪費させられたり、当然生き物なのでいつか死にますから、自分にとってマイナスになることも多いのです。

そのような状況の中から、見た目も考え方もコミュニケーション方法も違う生き物と、共存共生する方法を探したりするだけでなく、自分とってデメリットがある判断をする状況がたくさんあります。
そんなこともあり、判断力の甘い人、社会人経験の少ない人、行動力のない人、心が病んでいる人は、ペットを飼うのには不向きです。それが、擬人化しやすく表情の分かりにくい、ハムスターのような小さな動物だと、なおさら難しいと思います。
ペットを飼わないという選択肢を、何より優先に考えてください。


(転載させて頂きました→http://www.hamegg.jp/hamster/preparation01.html)

この文章を読んで雷に打たれるような衝撃を受けてほしいな~、全ての飼い主さんに。
と思いますが、実際は、響かない人も沢山いるとも思います。
そして、やっぱり、そもそもこの的を射た言葉が響かないタイプの人間は、子供や動物を養うのは不向きだと、私も断言します。

今の日本におけるペット業界の実態なんかも的確に凝縮されています。
実際、犬や猫より、ハムスターや熱帯魚などの、小さくて安価で手に入る動物の方が、一層軽んじられる傾向があることは確かです。
結局多くの人間の中には、無意識に、命の重さを目に見える基準(金額や肉体の大きさ)で量ろうとするところがあったり、もっと言えば当たり前に「動物より人間の命の方が重いに決まっている」という思いがある、それが現実なのだと思います。

そしてこういうことをここまではっきりと言えるのって、やっぱり、「動物を売って収入を得ている人」ではないことがほとんどですよ、まだまだ。
私だってきっと、犬を売って生計を立てなきゃいけなかったら、今ほど厳しい事ばっかり言ってないです。
世の中にはきっちりと買い手を見極めるブリーダーさんやショップも増えてきましたが、当然少数派ですし、移動販売などの言語道断なやり方もなくなりません。
売りたいためにウソをついているのか、それとも本当に知識がないのか、事実と真逆のことを言って動物や飼育用品を売っているケースが多々あります。
言いようによってはそうだけどさ…と思えるような商売口上ならまだしも、それは完璧にウソ!というセールスで犬を購入させられている方もいて、それって詐欺で訴えたら確実に勝てますよ…というレベルだったりもします。

悲しいけれどこれがまだ現実なので、犬やペットの購入を考える人達が、飼い始める前に、ショップの店員以外の専門家にもどんどん話を聞きに行ける世の中になってほしい。
ショップの店員以外にも話を聞きに行った方がいい、という事を、もっと一般の方に広めたい。
獣医さんとかトリミングサロンでも、料金取ってでもしっかりがっつり相談に乗ってあげるという場を作ったらいいと思うんです。
「これから飼う人向けのセミナー」とかも増えたらいいよね~と思います。

その、ハムスターをくれるという友人と話題になったのですが。
ハムスターってそもそも一日の中でものすごい距離を歩き回る動物なので、市販のハムスター用ケージって、ハムスターにとっては全然大きさが足りてないものがほとんどなんだそうです。
その点をきちんとわかっているハムスター愛好家は、ケージ一つ一つが大きい上に、“お散歩タイム”があるのだそうですよ。
室内を、ハムスターが歩き回っても大丈夫なように片付けて、ケージから出して自由に歩かせてあげる時間を作るんだそうです。
不適切な狭さのケージに閉じ込めて欲求不満になると、ハムスターは自力で扉を開けて脱走しようとするし、広く市販されている「ハムスター用」とうたったケージの多くは、容易に脱走できる作りになっていたりもするのだそうです。

いやぁ、聞き慣れた話だなぁと思いますね。
犬をケージの中だけとか、家族から隔離した一部屋に閉じ込めておいたゆえに、ギャンギャンうるさくなってきたとか、人が来ると騒いで大変…とか。

また、友人も私も、熱帯魚にはまったこともあるのですが、やはり魚においても全く同じ事が言えました。
小さくてオシャレな水槽をちょこんとテーブルの上に置いたり、カップや小瓶と呼べるような大きさの入れ物の中に、水草と小さなメダカなんかを入れて飾ったり。
そういうインテリア性の高い飼い方で消費者に憧れを抱かせようとする手法をよく目にします。
確かに熱帯魚の事をよく知らなかったら、とてもオシャレに見えるし、水槽が小さければ手入れも楽そうに思えるし、手を出してみようという人が増えるかも知れません。

だけど水槽って、最低でも10リットルの水を入れておかないと、水温や水質が安定しなくて魚が辛いんですよ
10リットルの水が入る水槽にしようとすると、どう頑張っても30cm水槽。
とても卓上におけるサイズではないんです。
置けないことはないかも知れないけど、まぁ、確実に邪魔ですね(笑)

最低でも、という話なので、当然魚の数を増やしたり、あるいはちょっと大型の魚に挑戦する場合はもう、当たり前に60cm水槽が必要です。
幅が60cm、奥行きが30cmほどの大きさになります。
それが熱帯魚を飼う際の“標準”サイズです。
魚に手を出したいなら60cm水槽を置く場所くらいは確保しないと、適切になんか飼えませんよ、ってことです。

更に魚が病気になったりした時のために、予備水槽というのがあると便利です。
60cm水槽の他に30cm水槽を置くっていうことです。
適切に面倒を見るためには、かなり場所を取るし、道具を揃えなきゃならないし、手間暇がかかるということです。
卓上で2、3リットルしか水が入らないような入れ物で、魚にとって最低限の快適さを保証してあげる事は、不可能だというわけですよ。
そして、“最低限の快適さ”を保証してあげられないことは、虐待と呼んでいいと私は思うわけです。

結局、ハムスターにしろ魚にしろ、あまりにもその生態が正しく理解されず、その生き物にとって何が“最低限”必要なのか知られなさ過ぎているんだね~という結論に、友人と至りました。
その生き物のプロのはずなのに、生き物のことを考えるより、あまりにも商売を優先してしまう業者とか。
その生き物に対しての知識や理解があまりにも足りていない業者とか。
そういう人が実際に多い中で、そういう人のところへしか消費者が話を聞きに行かなかったら、社会全体の意識が高まっていくわけはないと思います。

犬に関しても同じ事。
犬の場合、ハムスターや熱帯魚以上に、人それぞれ飼い方が違いますし、しつけ方も健康管理も、トレーナーによって獣医によって、様々な意見が混在しています。
一言で言うと「人によってやり方が違う」わけですね。
(厳密に言うと、やり方が違う、なんていう単純な言葉で片付けてはいけない現状ですが)

だけどその中でも、例えば「散歩はどんなに小さな犬でもちゃんと行かないと。」とか、どういう飼い方をするにしてもここだけは共通で最低限でしょ!というような点すらも、ないがしろにされています。
ロングリードでぶらぶら散歩をするのか、飼い主の脇につかせて脇目もふらずに歩かせるのか、そこは論議があってもいいと思うけど、「お散歩に行かなくても飼えますよ」だけはないわ!それはどうしてもナイわ!!と思うわけです。

犬の居場所はサークルがいいのか、キャリーケースのようなものがいいのか?の前に、「家には寝に帰るだけなので犬を構ってやれる時間は二時間ありません」というような方が犬を飼っているとしたら、「いや、サークルかキャリーかの問題じゃなくて、あなたは犬を飼う条件を満たせていないですね。もっと、人とコミュニケーション取らなくても平気な動物にしないと無理です。」という話からになる。
犬の生態に合った、最低限の飼い方を満たしてやれないと、じゃれつきが激しいとかトイレのしつけがうまくいかないとか無駄に吠えるとかどうも怒りっぽいとか、そういうのもうまくいくわけがないんです。

留守番が長いのとトイレのしつけなんて関係なさそうに感じるかも知れませんが、犬のトイレ事情というのは、犬が満ち足りて精神的に安定して暮らすことが出来ると、持って生まれた排泄に関する習性を充分に活かすことが出来るため、その習性を人間が把握して状況を整えてやればうまくいくんです。

そして、飼い主さんとの関係性でも左右されるため、そもそも「留守番が長すぎて飼い主さんとのちゃんとした関係が築けない」ようでは、うまくいくはずがないんです。
人との触れ合いがろくにないまま、トイレを上手にするようなことがあったら、それはそれで実は悲しいことなんですよ。
だから犬はそもそも長時間孤独にさせては健全に生きていけない動物だということを、最低限の認識として広めていきたいです。

同様に、一見関係なさそうな犬の問題行動と飼育環境が密接に関わっている事例はいくらでも出てきます。
逆に言えばそれは、適切な飼育環境で最初から飼う事ができていたら、発生しなかったとか、もっと軽度で済んだ問題です。
犬はそれだけ苦しんでいたということですよ、与えられた不適切な飼育環境に。
そこを改善しない「しつけ」はあってはならない。
そして、こういう話は、飼って問題が出てから困った飼い主さんが知るよりも、飼う前から、適切に飼い主さんが情報を得られる社会になってほしい。

そういう社会に少しでも近づくように、尽力していきたいと思います。



おまけの話題。
今年の私の誕生日プレゼントとして、こんなものをもらいました。

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一度こういうの欲しかったから、嬉しかった~。
結構高かったんじゃないかなと思います。
送ってくれたのは今年の春から社会人になった従姉妹。
奮発してくれたな~。多分。
幸一はちょっとキャラが違う感じだけど、ちゃちゃの方はなんか、ものすごく特徴捉えてます。
ビジュアル的にも、雰囲気も。
大事にします。

あと、前回の記事で「地元にも犬と泳げる川ないかな」と書いたら、拍手コメントに情報を頂きました。
ありがとうございます。
調べて、機会があれば、足を伸ばしてみたいと思います。
 

ルーティンを崩す時の注意点

犬にとって規則正しい生活というのが大事だよ。という話をして、続き書くよ~と宣言したのに、随分脇道に逸れておりました。
待ってたという方がいらっしゃったら、ほんとすみません。

おさらいからですが、犬、と言うか生き物にとって、『流れ』がわかっている生活というのが、気持ちを安定させるのに重要だというお話しをしました。
「次に何が起こるか」が把握できていれば、無駄に焦ることもない。
「“いつもの”ごはんの時間」「“いつもの”散歩のタイミング」が来るまでは落ち着いて待っているし、“いつもの”ごはんや散歩を終えてしまえば、気が済んでまた落ち着いて過ごす。
逆に、いつごはんが出てくるのか、いつ飼い主さんが帰ってくるのか、どのタイミングで散歩に行けるのか、完全に不規則でメチャクチャ、全く生活リズムのない日々だったとしたら、犬は飼い主さんの些細な挙動に対して「ごはん!?」「散歩!?」と期待をして落ち着かなくなったりすることが充分あり得る。

勿論、ルーティンの話だけでなく、その他のストレス要素や飼い主さんの接し方などにも影響を受けますから、生活を規則正しくするか・しないかだけで必ず結果が左右されるということではありません。
ただ、自分自身で考えてみてください、自ずと生活の中に『決まってやること』ってありますよね。
それが出来なかった時って、何となく気持ち悪かったり、落ち着かなかったりしませんか。
犬に限らず生き物は、しぜ~んと規則正しい“ルーティンワーク”を組んで生活する…つまり、規則正しい生活を好む習性を持っているんですよ。という話をしました。
詳しくはこちら

で、今回は、その『規則正しい生活』を破って、『いつもと違うこと』をする時のリスクについて、お話ししようと思います。

例えば、たまに、ドッグランに行く。
休日くらいは車で、いつもと違う場所へ散歩に行く。
犬を連れて一泊旅行に行く。
あるいは、ワクチン接種などのためにたまに獣医さんに行く。
毛が伸びてきたから、トリミングに出す。
仲の良いお友達が来て、おうちに上がって犬とも遊んでもらう。
時々ドッグスポーツの大会に参加する。

などなど。

『毎日の流れ』と違うこと。
『いつもの流れ』の中にないこと。
これを“非日常”と定義します。

『いつもと違うこと』が起こった時点で、それは犬にとって“刺激”になります。
刺激があるということは、言い換えると、大なり小なり“ストレス”がかかるということなんです。
問題は、その刺激・ストレスが、その犬が許容できる“適度な刺激”なのか、それともキャパオーバーしてしまうような“強すぎる刺激”になるのか、ということです。

ストレスと言うと「悪いこと!」「なければないほどいい!」というイメージになるかも知れませんし、私も普段はストレスを敵認定している感じでブログを書いていますが、そういうことじゃありません。

例えば散歩で“適度な刺激”を受けさせて適度な疲れを与え、家の中ではゆっくりしてもらう。
散歩が完全に“ストレスフリー”で、犬にとって何も刺激のないものだったら、犬の日々は『退屈』という苦痛に溢れた、エネルギー発散の場がない毎日、ということになってしまいます。
散歩は、そのコにとって苦にならない程度の、“弱いストレス”を感じるものでなければなりません。

また、例えば犬を見ると怯えたり興奮したりする犬がいるとします。
ストレスレベルを下げるために、まずは苦手な犬と出会わないように散歩する。
そのコが反応を示してしまうほどの、“強いストレス”となっている『犬』という存在に、まずはさらさないようにして、心の平穏を取り戻してもらいます。
けれど、いつまでも犬を避け、ストレスフリーな散歩をしているだけでは、犬という苦手を克服できません。
心の許容量を増やしたら、今度は、そのコが受け入れられるだけの条件を整えて、犬と接触させていく。
犬という存在を、そのコが乗り越えられる程度の、“弱い刺激”として認識させていきます。


こうしていろんな刺激に慣らし、何を見ても平常心でいられるようにするのが『社会化』です。
犬を社会化させる(=犬が暮らしていかなければならない、人間社会に馴染ませる)には、人間社会にある“刺激”“ストレス”に徐々にさらし、ストレスだと感じない程度にしてあげなければなりません。
つまりいくらストレスマネジメントが大事だと言っても、犬を完全にストレスから隔離するってことではないんです。

そう言えば、皆さん、人間って三歳までに毛穴の数が決まるそうですが、ご存じですか?
三歳までに汗をしっかりかかせないと、毛穴の数が少なくなって、体温調節が下手な身体で大人になってしまうそうです。
近年はエアコンが普及して、赤ちゃんの頃からあまりにも『暑さという刺激(ストレス)』にさらされず成長してしまう人が多いのも、若い中高生の熱中症が増えている一因と考えられます。
身体にとっても心にとっても、適応能力の高い状態に育っていくためには、小さい頃から適度な刺激を受けていなければならないんですね。

というわけで、「ストレス=悪!」ではないことはおわかり頂けたと思います。
だから、「非日常のイベントによる刺激でストレスがかかる→非日常のイベントは経験させるべからず!」と言いたいわけではありません。
むしろ必要な病院やトリミングは平気でこなせるようにしてあげなければ社会化がうまくいったと言えないわけで、そういう意味ではやはり、多少ルーティンが崩れたって対応できるように育てる必要はあるわけです。

だけど見落としがちなのが、飼い主さんにとって楽しい非日常に犬を付き合わせる場合です。
ドッグランへ行く、犬連れで旅行する、ドッグショーやイベントに犬も連れて行く、というケース。
やっぱり、

「愛犬も楽しんでいるに違いない!」
「出かける準備を始めるとすごく喜ぶし!」
「行った先では楽しそうにしているし!!」

と思って、連れ回す方が多いと思うんですよ。
ここでまず、ちょっと考えてみてください。

その愛犬の「楽しんでいる」「喜んでいる」って、本当に喜びですか?
興奮ではありませんか?


『いつもと違う』それだけで、大なり小なり発生するストレス。
平然と、いつもと変わらない態度でいるように見えても、完全に平常心ってことはなかなかありません。
皆さんもそうではありませんか?
『いつものルーティンが崩れる』何かがあった日って、多少なりとも疲れませんか?

ましてそれが、楽しくて楽しくて、テンションが上がって、はしゃぎまくってしまったような時。
気持ちの良い疲労感や満足感を感じることが出来るかも知れませんが、でもそれはやっぱり、『疲労』です。
更に、それ以上の状態、つまり度を過ぎた興奮状態に陥ってしまっては、その『非日常』は、愛犬の心身や普段の生活に悪影響を与えてしまう可能性があるんです。

出先での愛犬の様子、どうですか?
目が見開いてギラギラしていませんか。
口を横に引きつらせて、息を荒げていませんか。
呼吸は速くないですか。浅くないですか。

身体を緊張させてそわそわしていませんか。
耳や尻尾に、力が入っていませんか。
せかせか足踏みしていませんか。

リードを引き気味になりませんか。
吠えやすくなっていませんか。
必要もないのに走り出そうとしませんか。

興奮している時の犬の顔って、一見“笑顔”に見えることが多いんです。
だから良くない興奮状態に陥っている愛犬を、「楽しそう」と勘違いしてしまう方、結構多いですが、その笑顔は『ストレススマイル』と呼ばれ、決していい笑顔ではないんです。

それに気付かず、非日常でストレス状態に陥る愛犬を、頻繁に『普段と違うルーティン』にさらしているとどうなるか。
当然、犬にはストレスがかかり続けますから、問題行動やストレス行動の増加を後押しするわけです。
「この間ドッグランに行ってから、すごく吠えやすい状態が続いていて…」とか。
「トリミングに出すとしばらく、家の中で落ち着かなくなっちゃって…」とか。
「親戚が泊まりに来てから、どうも怒りっぽくて…」とか。
実際によくある話です。

忘れないでほしいのは、あくまで「ドッグランに行った」「トリミングに出した」「親戚が泊まりに来た」という『非日常』が、その犬にとって“キャパオーバーする刺激”になった場合の話ですよ。
その程度のこと、キャパオーバーしない、器の大きい犬に育てておいてあげる事が出来れば、同じイベントが起きたからと言って、問題行動に直結することはありません。


そのイベントで犬が興奮するほど、ストレスがかかる。
あるいは、勿論、非日常の出来事が起こった時に、怯えたり嫌がったり…という方向に反応が出る犬だって、ストレスがかかります。
ただ、犬がわかりやすく嫌がった場合って、「うちのコにはこういうの、向かないんだね」って飼い主さんが気付いてくれるから、無闇矢鱈にイベントに連れ出さなくなりますよね。
『一見喜んでいる』反応を示す犬だと、飼い主さんが「実はめちゃめちゃストレスがかかっている」っていう事に気付かないで、ガンガン連れ歩く可能性が高くなるので、そちらの方が要注意だと思っています。

ちょっとここで、人間の例えですが、わっかりやすいので、私自身と私の友人の話をします。

私は、昔から『非日常』が苦手でした。
運動会とか展覧会とか、いつもと違うイベントがあると、憂鬱でした。
面倒くさいんですよね。
学校が終わったら家にこもるタイプで、あんまり友達の家に行ったりとか、好きではありませんでした。
まして友達の家に泊まりに行く、なんて、したことがありません。
したいとも思いませんでした。

『夜は自宅でくつろぐ、自分の布団で寝る』のルーティンを崩す事が、信じられませんでした。
気持ちが落ち着かないんですね。
だから修学旅行とか、憂鬱以外の何物でもなかったです。
本っ当に嫌だったな~(笑)
終わって帰った時の安心感、半端じゃなかったな。

面白いもので、私の身体は、『楽しみなつもりのお出かけ』にもわかりやすいストレス症状を起こしてくれます。

近年は、東京の友人(本業トリマー・裏トレーナー)と、年に一回くらい、埼玉の恩師(ドッグトレーナー)のお宅に泊まりに行きます。
修学旅行と違って、大好きな仲間とだけ気ままに過ごす時間ですから、私自身も楽しみにして行ってます。
なんですが、胃が痛くなるんですね~。
『いつもの流れと違う一日』で、ストレスを感じて、反応してしまうんです。

とても残念な身体です。
(どんなストレスに対してもいつも胃が一番に反応します)

一方で、友人は、休日を全部イベントで埋めてもいいタイプ。
仕事後に遊びに行くんだってウェルカムな、パワフルな人です。
彼女は年に一度のこのお楽しみ、日程が決まると、わくわくして一週間くらい前から荷造りをしてしまうそうです。
で、「あっ、歯ブラシ使うじゃん」と荷造りしたバッグから取り出し、また「早く行きたいな~」という気合いから歯ブラシをバッグに詰めて荷造りを完璧にし、翌日「だから歯ブラシ使うじゃん」とバッグから取り出す。
これを一週間続けるそうです(笑)

あと、他に、「楽しみすぎて新しいバッグ買っちゃった」と言っていたこともありました。
でもこの感覚って、経験ある方が多いのでは?
友達と海に行くのが楽しみで、水着買っちゃったりとか。
彼氏と外泊旅行が控えていて、ウキウキソワソワしていて、そんな時たまたま可愛い靴を見かけてしまって、つもりはないのに買っちゃった。とか。

『楽しみなことが控えているから、ソワソワして落ち着かない』
これは犬でも同じ事なんです。
楽しみというエネルギーが有り余って、“余計な事”をしてしまうものなんですね。
水着を買うとか靴を買うという行為が一種のストレス行動と呼べるわけです。

そして『そんなにソワソワするほど楽しみなこと』が規則的にあると、定期的にソワソワする犬になってしまいます。
週一とか、月一というスパンでも、決まってイベントがあると、動物はそれをルーティンワークとしてインプットしてしまいます。
だからつまり、

毎週末、ドッグランに連れて行くから、週末になるとソワソワして落ち着かなくなる

っていう事が起きたりするんですね。

普段からストレスレベルが高く、興奮しがちな犬に、更に『楽しみと見せかけた興奮』を定期的に与えてしまうと、イベント直前には余計に落ち着きがない状態にさせてしまいます。
「家の中で落ち着いてくれないから、お出かけで疲れさせよう」などと思って連れ回しても、逆効果になってしまうということ。
イベント直後は疲れたように見えても、結局それはその場しのぎになってしまう。
(ただの「疲れ」で「本当の落ち着き」ではないから)
そして、動物は、よほど無茶な強度の運動でもない限り体力というのは簡単についていくものなので、もっとハードなことをしないと満足してくれなくなってしまう場合も多いです。

しかも、そうやって、「そろそろアレのはず!」と流れを掴んで期待するようになってしまった犬にとっては、「ごめん、今日はいつものアレ、出来ない」と言われた時の苦痛ときたら!
期待していなかった状態より、期待していたのに肩すかしくらう方が、当然ムシャクシャしますよね。
高まっていたエネルギーの行き場がなくなり、余計な興奮やストレス行動を呼んでしまっても、ちっとも不思議はないのです。
だから、「定期的に必ずやってあげられるとは限らないこと」「いつかやってあげられなくなるかも知れないこと」は、“ルーティンワーク”にはしない方が賢明です。

毎週ドッグランに行っているけれど、本当はちょっと遠くて、飼い主にとっては毎週は厳しいんだよね…っていう状態のところに、子供が大きくなってきて習い事を始めて、それが思いの外忙しくなり、土日も時間を取られるようになったら?
ちょくちょく犬と遠出していたのに、親が介護状態になり、出来なくなったら?
転職や引っ越しでライフスタイルが変わったら?
先住犬の介護に手がかかるようになったら?
子犬を飼い始めてそっちに手がかかるから出かけられないとなった時、先住犬の期待は?
「ウチは元気な大型犬だから、週末遊びに連れ出すのはパパの役目」だったお宅、パパが怪我をしたり出張が入ったりした時、パパと同じ強度の遊びを出来る人は?

こういう風に考えると、いつ、どこで、何があっても、犬に『いつも通りの幸せ』を保証してあげるためには、人の生活に『予想外の何か』があっても“余裕”で犬に施してあげられる内容の楽しみだけを『いつも通り』にしておく必要があって。
お出かけとかそういうのは、ごく稀の、ルーティンにならない程度のお楽しみに留めておくべきだと考えます。
つまりやっぱり、普段の犬の楽しみは、のんびりとお散歩をすることを最低限保証してあげて。
「のんびりした散歩だけじゃエネルギーが余る!」というような、パワフルな犬種、難しい犬種は、よくわからないで手を出してしまう飼い主さんが減るように、業界全体でもっとよく考えていかないと…と思います。

ちなみに「じゃあ散歩もルーティンになると困るから不規則にする!」なんてのはとんでもない話だというのは、このブログをご愛読頂いている方のほとんどがおわかりだと思いますが、新規の方もいらっしゃるかも知れないので一応。
一日二回の散歩を保証してあげられないなら、犬を飼わないでください。
それは犬を飼うにあたり最低限の、飼い主の責任です。

それすらなかったら犬は生きていく楽しみを失います。
散歩については過去幾度となく書いてきていますし、コラムの方にもまとめているので、ご参照ください。

さて、今日のまとめ。

いつものルーティンを破るイベントは、どのような内容であれ、多少なりとも『いつもと違う』というストレスが発生する。
そのストレスが、その犬にとってキャパオーバーしてしまうものとなった場合、普段の問題行動を後押しする。
イベントを犬が明らかに嫌がっている場合は勿論、一見楽しそうに興奮している場合も同様である。

そう言ったイベントを定期的に取り入れると、犬はイベントが近づくと興奮してくるようになり、それがまた問題行動を後押しする。
そして、ルーティンとして認識してしまったイベントの流れが崩れた時、その期待値と興奮度が高いほど犬はエネルギーを持て余し、問題を起こしかねない。
それは家族にとっても困るけれど、犬自身にとっても辛いこと。

イベントを経験させたい場合は、普段からストレスマネジメントや社会化をきちんと行い、『非日常』を負担と感じず受け入れられる器に育ててあげること。
そしてイベントは、あくまで『たまの楽しみ』程度で、犬にとって『良い刺激』となるよう、うまく取り入れることをお勧めします。


最近書いた記事と通ずる話ですが、“飼い主さんにとって楽しいお出かけ”って、正直犬にとっては、プレッシャーや緊張の方が大きくて、大して楽しくないことの方が多いです。
観光地やドッグスポーツの会場に行ったって、知らない人間がすごい密度で居て、犬にとって脅威になる距離で沢山の足がズカズカ目の前をよぎって行って、がやがやうるさくて、行儀の悪い犬や不安定な犬も連れ出されてきていたりして、居心地なんか絶対に良くないことがほとんどです。
“犬が楽しいお出かけ”は観光地どころか、整備されたドッグランですらもない。
犬を連れてお出かけしたい時は、あくまで「犬に付き合ってもらっている」という意識を持って行き先を選ぶくらいで丁度いい、と思います。
そして時には、犬のためのお出かけ、してあげましょう。

最後にこぼれネタですが…
先ほど例に挙げた、お出かけ苦手な私と、大好きな友人。
私の愛犬、シェパードの幸一は、私に似て、お出かけすると純粋な疲れで下痢をするタイプ。
友人の亡き愛犬、同じくシェパードでしたが、彼はお出かけとなると喜んでテンション上げ上げで、行く先々で全力で遊び、下痢してました(笑)
ね。ネガティブだろうがポジティブだろうが、非日常って負担がかかるんですよ。
それにしても犬って、飼い主の鏡ですね…