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幸一とちゃちゃの2018年まとめ、そして…

ブログ上、大変にお久しぶりでございます。
年々「お久しぶり」の期間が長くなります。
相変わらずの土田です。

真冬くらいはもうちょっとブログが書けるのではと思っておりましたが、いやはや、今年は甘かった。
年々頂く仕事が増えているということもありますが、今年は極めて雪が少なかったせいか、冬と言っても全くと言っていいほどヒマにはならず。
ありがたいことなのですが、ほんとに、真剣に、ブログを書く時間なんて二の次!三の次!状態でした。

そんな中、どうして急に現れたかと言いますと。
いや、やはり、今日は特別な日ですのでね、手短でも書いておこうかと…

我が家の長老、本日(3/15)をもちまして、無事14歳となりました。

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いや~、正直、ブログを長くサボると「まさかこうちゃんに何か…!」という説が浮上して皆様にご心配をおかけする事になるというのも気がかりでして(笑)
年々そういう話がリアルになってくるわけですからね、今年こそついに逝ったかと思われても何の不思議もないわけなのですが、なんと今年もまだ粘り(笑)14歳記念日と相成りました。
ちょっともう、なんか、いよいよ笑えてくると言いますか。
ほんとにちょっとすごいトシだな、シェパードの14歳って…って感じで。
ちょっとレアな年齢になってきました。

しかもまだ、自分で歩く14歳。
散歩は流石にもうこのスタイルですが↓

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日常生活(トイレに行ったり、車に乗ったり…)は、全部自分の足でこなしています。
食欲もまだまだ健在、むしろ体が思うように動かず楽しみが減った分、食べる事が何よりも楽しみな状態で。
未開封のおやつにも食いつきます。

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(13歳の誕生日にもらったおやつとの記念撮影)

一年近くブログを書かなかったので。
「勉強になるブログ」をお待ちの方もいらっしゃるかとは思うのですが、今日は、我が家の近況報告を兼ねて2018年の総括を、数多くはないと思われる、幸一ファン・茶々丸ファンの皆様にお届けします。

2018年、13歳となってからも、幸一は二度東京へ遊びに行きました。
五月下旬、二子玉川にて。

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あら、いいお顔。

公園内のスタバでブランチ。
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一緒に写っている若者はたまたまこの日に一歳の誕生日を迎えた、友人の愛犬、リヒト君。
たびたびこのブログにも登場してもらった、東京の友人の愛犬です。
東京の友人と言えば愛シェパAshがもはや私の周りでも有名犬ですが、Ashは12歳の夏に旅立ち、その後にやって来たのがリヒト。
13歳と1歳の対比、なかなかすごい。

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幸一の年齢的に「これが最後かも」と思いながらの東京旅。
でも2018年は、足腰はそれなりに弱っていくものの、まだまだ気力を失わない幸一に、11月下旬にも実行しました。
しかもこの時は珍しくちゃちゃも同行。

土田家の車に微塵のためらいも見せず乗り込み、「しゅっぱーつ!」っていう台詞が聞こえてきそうなリヒト。
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馴れ馴れしいおこちゃまに、ため息が隠せないおじいちゃん。
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リヒトの飼い主である彼女は、動物の写真を撮るのはなかなかの腕前です。
いい写真いっぱい撮ってくれる。
(シェパード限定で。シーズーは対象外です。)
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代々木公園にて、ゆっくりとしたひとときを過ごすことが出来ました。
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幸一もちゃちゃも沢山の方に可愛がって頂き、2018年は一際いろいろと美味しいものを頂く機会も多くて。
「いつもおやつを持って来てくれる」とわかっているお客さんの訪問なんかは、ほんとに心待ちにしていると思います( ̄▽ ̄;)

ドーナツ、ご馳走様です。
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クリスマスケーキ、ご馳走様です。
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だから必死すぎて目が恐いよ、毎度毎度。

そして2019年、幸一は、14歳の誕生日を迎えることが出来ました。
顔つきはまだまだしっかりしていますし、体は簡単に動かないながらもまだまだ“お仕事”をする気持ちもあります。
年齢だけで考えるともう、遠出とか、長時間のお出かけは、当然控えなければならないと思うのですが、やはり気持ちはまだ萎えていないところを見ると、あまり過保護にして家に閉じ込めておいてもつまらないんじゃないかな~と、今年も東京とか、行ってみる?と迷うところです。
まだしばらくは、Wan only SMILEにお越しくださる皆様を、よちよちと出迎える日々を続けられそうです。

ちゃちゃも8歳になりまして、相変わらず『根性ひん曲がったぶすなのにみんなから愛されてしまうお得キャラ』で通っております。

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(なんかもう…いろいろ…ひどすぎて、どうしよう……)

幸一とちゃちゃの関係、私との関係、環境の変化、年齢的な変化、いろんな事があって、少しずつ私の気持ちとか考えが変化していっている部分もあって。
幸一にとってのベスト、ちゃちゃにとってのベストが、数年前とは全く同じではなくなっていたりもして。
ブログを書けずにいる間にもいろんな事が起き、勉強になる事が数々起こり、私の考えもぐらついたり余計に強固になったり、相反する二つの感情が常に同居している部分もあったり。
日々、犬達に教えられ、考えさせられる生活です。
なんかとても苦しんでいる風な文章になってますが別に病んでいません(笑)
近年は病むことはあまりなくなりました、仕事が大変と言うと単純に肉体の疲労で、数年前立て続けに精神がやられて不眠症とかになっていた時期のような摩耗はしなくなりました。

それでもいついかなる時も私が真っ先に大切にしなければならないのは幸一とちゃちゃであり、幸一とちゃちゃの幸せの質を落とさない事が何よりも重要であり、それは結局私の心身を大切にすることにも繋がります。
老い先はどんどん短くなっていく幸一だからこそ、過ぎる一日一日が重く、無駄には出来ないもので、これから先はますます幸一との日々を大事に共有していかなければならない。
本当はそれは、若い犬だろうと「みんな限りある命を一日一日と削っていってる」のは同じで、一日も無駄にしてはいけないのは同じなんだけれども。
やっぱり「ちゃちゃは今日を棒に振っても明日、明後日で取り返せるから」って言いやすいけど、幸一のように「明日が、明後日が、必ず来るとは限らない」とひしひしと思わされる年齢になると、人間は一際気合いが入るもので。

幸一との日々を、大切に。
幸一に残された日々の、なるべく全部を、幸一が「幸せだった」「いい一日だった」と思えるように。
それが私の2019年の最優先事項であり、毎年、「それが一番難しいwww」という課題でもありますが。
おじいちゃんがまだ私にお付き合いくださるようなので、私も、今年もなるべく一番大切なことを見失わないように、おじいちゃんと共に頑張りたいと思います。

こうちゃん、お誕生日おめでとう。
14年近くお母さんの傍に居続けてくれて、ありがとう。
ともするとお母さん自身よりもお母さんのことよく見てて、先にいろいろと気付く幸一。
お母さんはこうちゃんに対して、苦労をかけている、気疲れさせてるだろうなと思う事ばっかりだけど、そんなお母さんの傍に、「もう嫌だー」ってならずに居続けてくれて、ほんとにもう、お前は世界一器がでっかくて気が利いて優しくて懐が深くてイケメンだ。

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14歳の一年間も、どうぞよろしくね。
 
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やっぱり『可愛い子には旅をさせよ』だと思う

この仕事を始めてみて、思ったより、世の中には『よそへ預けられない犬』が多いなと感じました。
預けると鳴き続けてしまったり、自分が怪我をするほどケージの中を引っ掻いたり、鼻を擦りつけたり。
預けられているその最中には明確なストレス行動を出さなくても、後から下痢をしたり吐いたりっていうこともあります。
ごはんを受け付けなくて痩せこけて帰って来るとか、水すら飲まないとか。
パワーのある犬だと、ケージを破壊して外に出てたっていう話も。

安心してよそに滞在できない理由は、犬それぞれです。
ケージというものがダメで、よそであろうと自宅であろうとそういうものに入れられない犬。
人が見える範囲にいてくれればいいという犬、飼い主さんじゃないとダメな犬。
一日、二日なら耐えられるけれど、連泊になると辛くなってくる犬。
逆に飼い主さんと離れた直後が一番戸惑う犬。
散歩さえしっかり行ければ耐えられる犬、人との触れ合いの時間が足りないと発狂してくる犬。
細かく見ると『よそに滞在する時の“何が”苦手なのか』がそれぞれ違うので、どうすればいい、と一括りにする事は出来ません。

様々なケースがありますが、ここ最近、私がすごく気になった事があります。

最近は、個人経営のこぢんまりとした、アットホームな雰囲気のトリミングサロンが沢山出来ています。
ショップや病院に何人もトリマーが勤めているのではなく、自宅の一角で、一人で切り盛りしているようなお店ですね。
そういうお店って、場所も限られてますし、店主の方針という場合もありますが、トリミングが終わったらすぐに飼い主さんに迎えに来てもらうとか、すぐ自宅へ送って行って、ほとんど犬を店内に置いておかない場合が多いと感じます。
この事が、『よそへ預けられない犬』を増やした一因になったのではないかという気がしています。

要するに、犬の社会化の機会を一つ奪う環境が整っていると思うのです。

犬を無駄にケージに閉じ込めておきたくない、終わったらすぐおうちに帰してあげたいというのは、勿論、犬のことを考えてあげるトリマーさんだからです。
私も、特にうちに来るのが初めての犬の場合は、なるべく短時間でお迎えに来て頂きます。
飼い主さんも、犬を想うからこそ、たった一時間や二時間でも面倒がらずにすぐお迎えに来てくださったりするものです。

だけどいつまでもそれだけというのは、ちょっとあまりにも『よそへ滞在する機会』を奪いすぎているのかも知れないな、と思いました。
カットが必要な犬種は特に、子犬の頃から定期的にトリミングに出される事が多いですから、いつものサロンくらいは平然と滞在できるようになるはずなのです。
入院したり、ペットホテルに預けたり…っていう事がない犬ほど、トリミングの場は『よそへ滞在する』という経験を積むための、より貴重な機会になります。
社会化とは“経験の積み重ね”です。
わけのわからない子犬の頃から“経験”を積み重ねていけば、少なくとも、その『いつものサロンに預けられる』という“経験”は犬にとって当たり前のものになって、狼狽えたり戸惑ったりするようなものではなくなるはず。
そうして、安心してそこに居られるようになってから、「一泊預かってみてもらえますか?」となれば、犬の安心度は大分違います。

あるいは、「トリミングが終わったらしばらくケージに入ってるもの。」と犬が思えば、他のお店に出された時も、「あれ、場所は違うけど…されてる事はいつもと同じだから、この後起こる事も同じかな。ケージで待ってれば、お迎え来るのかな。」という具合で、『これまでの経験』から狼狽えずに済むことも考えられます。
だけど作業が終わってすぐに車に乗せられ自宅へ送ってもらっていた犬は、違う流れ(ケージに入れられる)になった時、「なんで!?いつもと違う!何が起こるの!?どうすればいいの~!!?」となってしまう可能性がぐんと高くなる。
一度そうなると、トリマー心理としては「この犬は預かってると可哀想だからなるべく早く帰そう…」ということで尚更犬の滞在時間を短くしようと努力しますし、話を聞いた飼い主さんも心配になって、なるべくよそへ預けないようにしようとします。
トリミングも、同じところがいいだろうと、ずっと同じお店に出すでしょう。
それが結局、尚更犬の社会を狭めてしまうことになりかねない。

今の時代、こんな流れがあって、『よそへ預けられない犬』が多いんじゃないかなという気がしました。

あとは今流行っている犬種の影響は大きいでしょう。
プードル(特にアプリコット、レッドなど、茶色い毛のコ達)やロングのダックスは、ただでさえ飼い主さんへの依存度が高く、不安がりです。
プードルに関しては“不安障害の遺伝子”を持っていると言われています。
最終的に不安障害が発症するかどうかは勿論別の話ですが、とにかく、元来不安がりなことは間違いないです。
そういう犬種、あるいはそういう犬種が入っているMIX犬は、だからこそ一際、幼い頃から社会化を意識して育てなければ、どんな状況にも対応できるどっしりとした犬にはなりづらいものですが、実際は基本のきである散歩すら、小型犬だと行かなくて大丈夫という世論になっています。
そりゃあ尚更新規の刺激に弱い狼狽え犬が出来上がっちゃうっていうところです。

ケージに閉じ込められてパニックになっていたり、ギャーギャー騒いだりしてしまう犬を見ていて、可哀想…早く帰してあげよう…と思うトリマーさんが増えていることは、業界全体の意識の向上に繋がっていると思います。
そういうトリマーさんはやっぱり、犬を想い、犬にいいこと、犬の負担にならないこと、すごく勉強していると思います。
そういうトリマーさんを選ぶ事によって飼い主さんも意識が高まっていきますし、なんとなく仕事していたトリマーさんは選ばれなくなっていく事で、危機感を持って勉強し始めることもあるでしょう。
お店ごとにポリシーやコンセプトがはっきりあって、それぞれの理想のお店を追求することは、決して悪いことではありません。
たまたま今回私が思った内容は、結果として、犬の社会化を促すものではなかったけれど。

ここから更に全体の意識が高まり、もっともっと『犬の保育園』が馴染み深いものになっていくといいな、と思います。
トリミングや病院への短時間の滞在も、貴重な社会化のチャンスと考えれば、保育園とまで言わなくとも、トリマーさんや看護師さんが保育園的な要素も意識して犬を預かってくれれば、ただの預かりとは雲泥の差になるはず。

うちでも毎週保育園に来てくれる犬が段々増えていますが、犬の元の性格(大胆なのか恐がりなのかなど)によっても勿論差はあれど、やっぱり何と言っても沢山経験を積んだ犬ほど態度に差が出てきます。
むしろ、明るく元気な性格だけれどほとんど保育園に来たことがない犬と、警戒心が強く引っ込み思案な犬だけれど毎週来ているコとでは、後者の方が気持ちにゆとりを持って保育園の場に居られるようになるものです。
経験値で差が出るもんだなぁと感心させられるくらいです。
(勿論、同じペースで来ていたら、もともと肝っ玉の据わった性格の犬の方が余裕綽々で過ごしますが)

私が保育園を始めた一番の理由は『留守番が長すぎる犬達のため』でした。
もともと集団生活者である犬達にとって、長い留守番(孤独、社会からの隔離)はそれだけで大きな負担です。
でも、核家族化の時代、夫婦共働きや一人暮らしで犬を飼って、長い留守番から寂しさと欲求不満を募らせて、問題行動に走る犬達。
飼ってしまってからそれを知って、飼い主さんもいつも気に病んで…というケースを少しでも和らげたいと、保育園を始めました。
結果として最近は別に留守番が長いわけでない犬達も多く来てくれますが、彼らを見ていて、犬の保育園はこれからの時代ますます必要だなと私は感じます。
長い留守番の軽減、社会化のため、多頭飼育の場合に時には犬達を別々に過ごさせるという事にも大きな意味があったりするものです。

あ、勿論、保育園をやっているお店やスタッフの考え方、環境によっては、逆に悪い経験を積ませてしまう事にもなりかねないので、大切な愛犬を預ける先はよく選んでください。
スタッフとよく話をし、できれば保育園をやっている場を見せてもらい、良さそうと思えたら預けてください。
例えば狭すぎる環境で犬を沢山放してごちゃごちゃと入り乱れ、密度が高すぎる・犬の距離が近すぎる事から、犬達がピリピリして余計な争いが頻発しているようでは、よくないですし。
あまりにも犬同士がドタバタと騒がしく遊び続けているのを、スタッフが止めないようでは、それもよくありません。
犬同士が楽しく遊ぶ事の何が悪いの?と思う方もいらっしゃるでしょうが、あまりに激しく興奮している状態を放置することはとっても悪いことだというのは常々書いてきているので、ご興味があれば他の記事も読んでみてください。

それに、そういう激しい遊び方が身についてしまうことは、犬社会において大きなマイナスになり得るのです。
「犬と遊ぶってこういうこと」と思ってしまって、散歩中に犬を見かけるたびに「あっそぼぉ~!」と興奮するようでは飼い主さんも困りますし。
『ドタバタ激しいプロレスごっこ』っていうのは、子犬の遊び方なので、成犬になると大抵の犬はしたがらなくなります。
あるいは、ごくごく親しいもの同士でしかたがらなくなります。
親しくもない犬に『遊び』をけしかけるのが許されるのはほんの子犬の時だけなので、そこそこの月齢になってまだそれをやっていると、相手の犬を怒らせます。
小学校中学年、高学年、あるいは中学生になって、親しくもない近所の人や親戚、まして初対面の相手に、いきなり飛びかかってプロレスごっこしようって、言わないですよね。
それと同じ。
犬社会においても「何なんだあの無礼なやつは。頭おかしいのか?」という具合で、嫌われてしまう行為です。

保育園やドッグランなどの『犬が沢山集まる場所』は、うまく利用しないとデメリットをもたらすことも多いです。
よく吟味して挑戦してください。



さて、もう先月となってしまいましたが、我が家の長老・シェパードの幸一、お陰様で13歳を迎えることができました。
沢山の方から誕生日プレゼントも戴き、そんな写真と共にご報告したかったのですが、何故か今パソコンがメモリーカードを受け付けてくれず、パソコンに画像が取り込めずで、書きたいタイミングでブログを書く事が出来ませんでした(-д-)
でもまさかの13歳を迎えられたこと、しかもまだ自分の足で歩いてもりもり食べてっていう13歳になれたこと、感謝しかありません。
沢山の方々に愛して頂き、気にかけて頂き、幸一も頑張ろうと思えていると思います。

私との生活は本当に、幸一の負担と気苦労が絶えない日々です。
どうしてこんな生活をまだ続けようと思ってくれるんだろう、なんで早く「もう嫌だ」ってお空へ帰ることを選択しないんだろう、と結構真剣に思う事も多々あります。
幸一のため、幸一にしんどい思いをさせないためと、精一杯の努力をしているつもりながら、まあ大抵力及ばずで「また今年もやっちまった…」と思いながら一年、一年と過ごしてきました。
きっと今年もやっちまうんだろうなぁとも思いますし、今年こそやっちまいたくない、いい加減にしないともう13歳なんだぞいよいよシャレにならねーぞとも思っています。
でもこうだからこそ幸一は「まだお母さんの傍にいてあげないと」と思ってるんだろうなぁー。
「僕がいないとどうせ無茶するんでしょ?お母さんがちゃんと無茶しない大人になれたらお空に帰りますよ。」ってことなんだろーな。
じゃあ私が大人にならないでいる方がこうちゃんは長生きしてくれるってことか?と、なんかわけのわからない思考にはまっていく今日この頃です。

そんな事を言いながら、今年は早くも忙しくなって参りました。
もうまたブログを書けない時期です、ごめんなさいw
気力と時間が余った時に、ぽつぽつ書いていきたいと思います。
 

犬を飼う才能

私が最近よくお客様にお話しする事ですが、犬を飼うには『適性』があります。

例えば、「野球がやってみたい。」「フィギュアスケートがやってみたい。」で、実際にそれを初めてみる事は、誰にとってもそう難しくはない。
だけど、イチローや浅田真央のようになれるかと言ったら?
どんなに野球やスケートが好きでも、そこまで上り詰められるかどうかは、別の話。
ごくごく一握り、ほんの一部の人しか、行き着けないですよね。
『犬を育てる』っていう才能も、実は、それと同じくらいの確率だと思うんです。

才能の前にまず環境問題、例えば、野球やスケートを始めること自体難しい人もいるでしょう。
スケートだったら特に、通える範囲にスケートリンクがなければ、始めてみる事すらもできない。

犬を飼う事で言ったら、ペットが飼える物件に住んでいないとか。
一人暮らしで仕事も忙しく、家に帰ってから寝るまでは二、三時間しかない、その数時間の間に自分が食事をしたりお風呂に入ったりでとても犬とじっくり触れ合う時間なんてない、とか。
結構重度の犬アレルギーの家族が居るとか。
そうなると、どんなに犬が飼いたくても飼えない。
それと同じです。

では、スケートを始める事が出来た場合に。
例えば、どのくらいの頻度で教室に通えるのか。
本人が通いたくても送迎できる人が居ないとか、他にも習い事などをしていてスケートに行ける時間が少ないとかという、環境問題なのか。
それとも、本人が、「スケートは週一程度だったら楽しいけど、毎日なんて疲れるしうんざりしちゃう」という程度しか、スケートに情熱が向かないのか。
という「通えない理由」によっても違ってきますが、いずれにしろ、あまり通えなかったら上手くなっていかない事は明白です。

つまり、犬を飼う事で言ったら。
犬を飼い始めることは出来たけれど、親の介護や子育てに手がかかっていて、実際はあまり犬のために割いてやれる時間がない。
あるいは、犬のために留守番を短くしたり遊びに出るのをガマンしたり、そこまで出来ない、する気がない。
というような状態。
これだと、いずれにしろ、留守番があまりなくたっぷり飼い主と過ごせる犬との、幸福度の差は開きます。

それから、例えば、スケートは好きだし才能もあるけれど、怪我や体調不良で寝込む事が多いようでは、やはり充分に練習ができないし上手くなれない。
犬を飼って、散歩に行ってあげる気はあっても、自分自身が膝や腰が悪くて満足に歩けないとか、よく寝込んで散歩に行けないようでは、犬の幸福度は下がる。

スケートは上手くなったけれど、衣装代や靴代、試合に行く遠征費など、お金が続かなくて選手をやめてしまう人も沢山います。
犬が想定外の重病を患ってしまって、医療費で手一杯で、本当はもっと質のいいフードを食べさせたりトリミングも良いオプションをつけて皮膚トラブルを解消してあげたいけれど、お金がない…
留守番の長さを軽減するために犬の保育園を利用したいけれど、金銭的に厳しい…など、『より上質な幸せ』を提供してやろうとすると、お金なんていくらあっても足りないものです。

スケートの試合に出られるようになっても、極度のあがり症で、試合本番となるといつも大失敗ばかり…というのでも、結果は残せない。
なんていう、性格の問題でも、高度なレベルの話になるほど小さな問題ではなくなりますね。
普段は犬に接するのは上手なんだけれど、情緒不安定で、カッとなったり落ち込んだりしてしまった時はとても犬の世話をするどころじゃない、飼い主の不穏な空気に犬もおろおろ…なんて事もあります。

あるいは、スケート選手が、いいコーチやいい靴職人に出会えるかどうか。
高度なレベルを目指すと、そういう、一種の運とまで言える事柄も、結果を大きく左右するものです。
犬を飼って、いい獣医、いいトリマー、いい散歩仲間に出会えた人と、「小さい犬はお散歩なんて行かなくて大丈夫だよ、外に出さなきゃワクチンもいらないよ」と言うようなアドバイスをしてくる人にしか出会えなかった人では、犬に対する意識はえらく開いていきます。

極めようとすればするほど、ありとあらゆる要素が必要になる。
「好き」「努力できる」は当然、大前提で大切だけれど、それだけでは浅田真央のレベルには到達できない。
逆にどんなに高い身体能力を持って生まれても、スケートそんなに好きになれない、真央ちゃんのようには努力できない…それも、浅田真央には到達できない。

犬を飼うという事も、極めようとすれば、それと全く同じです。
本当は、犬を最上級に幸福に暮らさせてやろうとすると、ありとあらゆる要素が必要になる。
大多数の家庭で、「犬を飼うってのは“こんなもん”だろう、うちの犬は充分幸せだろう」くらいのノリで犬が飼われていますが、浅田真央とフィギュアスケートの関係に到達できているお宅は、実はごくごく一握り。

「犬を飼うにあたって認識が低すぎる」お宅も含め、「いくら愛していても、可愛がっていても、“100点満点の幸せ”を犬に提供できてはいない」お宅の方が、圧倒的に多いです。
我が家もそうです、100点満点にはほど遠い一家です。
飼い主の性格、ライフスタイル、家庭環境、金銭事情、様々な細かい要因が絡み合ってきます。

今回一番焦点を当てたいのは、『才能』という意味での適性です。

犬を育てるのには、向き不向きがある。
上手い、下手がある。
それこそ、『浅田真央がフィギュアスケートに対する抜きん出た才能を持っていたこと』と同等に、“犬を上手く育てる才能”は誰にでもあるものではありません。

むしろ本当に才能がある者の方が限られている。
と思っているので、私は実は、多くのお客様にレッスンをさせて頂く中で、「こんだけ奥深くて難しい事を、全ての人に、プロと同じレベルでマスターさせてあげるなんて、到底無理な話だよな」と思いながらやっている、つまり一種の“諦め”を持ってやっているので、結構冷めて見ていたりもします(笑)
(トレーナーと名乗っているからと言って必ずセンスが抜きん出ているわけでもないですしね)

ちなみに私自身に対しても、「センスの悪い方ではないけれど、浅田真央レベルではない」と思っています。
私よりも適性が高い人なんてもっともっと他にいます。
私はあくまで『街のスケート教室の先生』くらいだと思ってます。
完全に初心者の生徒さん達から見たら、随分上手く滑っているように見えるだろうけれど。
自分自身が日本一、世界一を目指すレベルでは、全然ない。

私がスケーターだったら、仮にどんなに練習しても、浅田真央と同じ事が出来るようになんて、なれっこない。
真央ちゃんのような身体能力も、根性もないし、性格も良くない(笑)
真央ちゃんに引けを取らないとしたら「スケートが大好きだ」という気持ちだけ。
スケートが大好き、楽しい、という気持ちだけは、真央ちゃんと同じくらい強い。
でも真央ちゃんと同じ練習を同じだけしても、絶対に私には、真央ちゃんと同じ事は出来ない。
それくらい、埋まらない才能の差がまずある。
そう思っています。

スケートだったらそれでも、好きで、やりたいんだから、人に迷惑をかけない範囲で、自分の出来るレベルで楽しく滑っていればいいと思う。
だけど犬の場合はどうしても、自分自身の他に、対等に命や感情を持った生き物を巻き込むことになります。
自分自身が好きで楽しい、それでいい、とは言えない。

「スケート下手だけど、やってると楽しい」はいいけれど、「犬を育てるのは下手、だけど私は楽しい」は、本当は許されることじゃない。

「いや別に許されないってほどのことじゃないだろ」と言う人がいるとしたら、それは、犬の命が人間より軽いと腹の底で思っているから。
犬を人間の娯楽の道具にしてもいいと、どこかで思っているからでしょう。
きっと本当はスケートだって車だって楽器だって、本当に愛している人に言わせたら、「とことん愛せないなら楽器が可哀想だから、やめれば?」って言いたいと思うし。
最近、インスタで手っ取り早く人気者になりたければ、犬か猫を飼うといいなんて言われているんですってね。
まさにそのノリでしか一つの命を見ていないということでしょう。
犬をより幸せに、ほんの少しでも理想に近く、自分の娯楽でなく犬自身のためにできる限りの献身をと思える人でなければ、本来は動物を飼う資格はないと言えるはずなのですが。

そして、本当に犬をちゃんと育てること、犬を限りなく『理想の幸福』に近づけてあげることは、いくら犬が好きで、犬のために努力できると言っても、そうそう成し遂げられるもんではありません。
いくらスケートを頑張ったって誰でもオリンピックに出られるレベルになれるわけではないように、突き詰めると、実はとても難しい事だと思っています。
“犬を育てる才能がない人”に飼われて、不幸なのは、誰より犬自身。
時には問題行動を起こして飼い主も困る事になるけれど、そんな時は、飼い主より先に犬が辛いのは間違いないです。

仮にそれがリーダー論で言うところのワガママだとしてもです。
自分の要求が通らない、自分の思い通りにいかないと言って、イライラして周囲に怒鳴り散らしたり暴力をふるったりして生きていて、幸福度の高い人生と呼べるものでしょうか。
ダメなものはダメと割り切って、我慢するところはしなきゃいけない、人に合わせる時は合わせなきゃいけない、そしてその程度の事は苦でも何でもない。と思って生きられる方が、よほど心穏やかでしょう。
私は最近、「ワガママな犬にとって、ワガママが通らない時って、ものすごいストレスなんだな」と感じています。
だから私の中では『ワガママ行動』=『ストレス状態』です。

結局、犬自身のためにも、ワガママだろうがストレスだろうが問題と向き合ってあげなければいけないのです。

実際は、実は、『犬を育てる才能がある人』が犬を飼ったら、多少の環境の悪さ(留守番が長いとか、狭いサークルに入っている時間が長いとか)は、犬は受け入れてしまいます。
勿論犬の個体差もあるので全てが飼い主側の才能によって左右されるわけではありませんし、いくら犬が許容してくれるからと言っても、『才能ある人に最高の環境で飼われている犬』よりは幸福度は落ちるわけですから、飼い主に才能さえあればどんな飼い方をしてもいいとは言えません。
ただ、飼い主にセンスがあれば、環境が悪くても犬がストレス行動も起こさず適応してしまう事も事実なので、犬を飼うにあたっては、

飼育環境やライフスタイルは多少悪いけれど、センス抜群の飼い主さん

または

飼い主さんのセンスは今ひとつだけれど、ほぼ文句なしの飼育環境

このいずれかの条件を満たすご家庭が犬を飼うようにしたら、問題行動を起こして犬も飼い主さんも辛い…という展開になる確率は随分低くなると思う。
生体を購入する時に、

その生き物に対する知識
その生き物の習性に相応しい飼育環境が揃った家庭か
飼い主さんの適性検査(心理テスト的なやつ)


を点数化して、及第点に至らなかったら生き物を購入できないという格好にするのが、本来だと思うんだよな~。

飼い主さんの才能という点に関しては、お話ししてきたように、「ちょっと教えてもらったからってすぐにオリンピックに出場するレベルの選手と同じことが出来るようにはならない」ですから、留守番の長さやケージの使い方と言った飼育環境の方を及第点に持っていく方が、早いし誰でもやりやすいです。
実際はレッスンに行くと、例えば犬を室内フリーにするために一部屋だけでも“犬仕様”にする(かじられたら困るところをガードしたり、どこでトイレを失敗されても慌てなくて済むように床に適した材質のものを敷いたり、危ないものはみんな片付けたりする)だけでも「えぇ、そんな手間!大変!」というリアクションを頂くことも多いですが、部屋がごちゃごちゃなまま人からの働きかけで犬にイタズラをやめさせるっていう方が圧倒的にハードルが高いんですよ。

『センスのない人』が『練習環境が整わない』のではいつまで経っても技の一つも身につきませんが、『センスのない人』でも『良い先生に出会えて一生懸命リンクに通うことが出来る』という環境が整ったら、一定の上達はできるはずです。
それと同じで、せめて犬を迎え入れる環境がばっちり整ってから連れて来れば、犬が無駄にストレス感じて“飼いにくい(ように見える)犬”になる確率を下げることができる。

更に言えば、犬に関しては何百という犬種がありまして、その時点で難易度が違ってきます。
フィギュアスケートも、簡単なジャンプ、難しいジャンプがあるように、割と誰でも飼いやすい犬種、とてもじゃないけど一般家庭には向かない犬種があります。
また、単に難易度だけの問題でなく、相性というのもあります。
浅田真央ちゃんはおもしろい事に、最も難しいと言われるアクセルというジャンプが得意でしたが、簡単とされるはずのサルコウというジャンプが苦手でした。
誰でも一番飛びやすいはずの、トーループというジャンプより、難度としては真ん中のループというジャンプの方が跳びやすいと言っていました。

犬種選びでも同じ事が言えます。
飼い主さんとの相性も、飼育環境との相性もある。
例えば留守番の長いお宅にダックスやプードルはお勧め出来ません、柴やチワワの方が比較的留守番は平気です。
逆に犬をベタベタ可愛がりたいタイプの方に柴犬は絶対向きません、プードルやゴールデンレトリバーにしておくべきです。

多頭飼育をするとなれば犬同士の相性も考えなければならないので、更に複雑になります。
勿論、プードルを選んだからと言って、全てのプードルが飼い主さんとベタベタしたがるわけではないし、例えば二匹目を飼い始めたら先住犬が攻撃的になってくるなど、その時の環境、犬の月齢(精神的成長度)、季節や天候の影響、いろんな事で犬の心理状態や行動パターンは変わりますから、犬種だけで必ずこう!とは言えません。
でも犬種による傾向はバカにしたものではないので、見た目の好みや大きさの問題だけでなく、しっかり性質も加味して選ぶべきです。
(と言うか、もっともっと現場に、そういう突っ込んだアドバイスが出来る販売員が増えるべきです)

そんな具合で、自分と相性のいい犬が選べてマッチングが成功したら、犬との生活はより楽しく、犬の方も少しでも高い満足度で暮らせます。
マッチング失敗して相性の悪い人と結婚しても苦痛ですよね?それと同じです。
「サルコウは苦手だけどアクセルは跳べる」となれば、オリンピックはムリでも、うまくアクセルで得点を得てちょっとした大会では表彰台に乗れるかも知れない。
でも苦手なサルコウだけを必死でプログラムに組み込んでいるだけでは、いつまでも成績は残せません。

勿論、本当は、サルコウも克服して全てのジャンプをより美しく決められるようになり、スピンもステップも極めて、オリンピックに行けるレベルに到達できる!っていうくらい、“犬を飼う事”を極められる人だけが、犬を手に入れるっていうのが理想だとは思います。
でもその理想はあまりに高くてちょっとまだ現実的じゃないですし、そうなると正直、私も犬飼えないですし、その理想だけを掲げても『今現在、既に世間で飼われている犬達』の幸福度は上がりませんし。
だから、「君はこれがうまいね、これを武器にして0.1点でも稼ごうか」「こうすれば君でもこれが出来るね」と、生徒さんの「出来る」を一つでも増やし、ちょっとでもいい成績に近づけてあげることが、『街のスケート教室の先生』の役割かなと思います。

というわけで愛犬家の皆さん、犬界のオリンピックは次元の違う話でも、トリプルアクセルは不可能でも、少しでも難しい技が出来るように、頑張りましょうね。笑
 

犬自身に考えさせる

犬が『悪いこと』をした時、皆さんはどうしていますか。

ゴミ箱を漁る、テーブルに手をかけたり乗ったりする。
人の手を甘噛みする、家具をかじる。
外を歩く人や犬を見て、家の中からうるさく吠える。
散歩中にぐいぐい引っ張る、リードを咬むコもいます。

挙げたら『悪いこと』ってキリがありませんね。
子犬を飼い始めた時なんて特に、犬がやるのは『悪いこと』だらけ。
それにばかり目が行って、飼い主さんは、一日犬を叱ったりやめさせようとしたりするばかり…なんてことは、珍しくない話です。
時にはまだ犬が『悪いこと』に至っていないのに、前もって飼い主さんが「あ~ダメダメ!」なんて言いに行くようになることも。

例えばまだ家具をかじってはいなくて、ニオイをチェックしているだけだったりする場合ですね。
犬自身はもしかしたら、その時はかじるつもりはなくて、放っておけば「やっぱりやーめた」と自分で別の行動を選んだかも知れない。
だけど飼い主さんが「いつもあそこをかじる」と思い込んでいると、そこに近付いただけで制止しに行ってしまう。
何でもかんでも先回りして犬の行動にいちいち介入する、これはとっても良くないです。

「うるせーなぁいちいち、わかってるよ…もう俺だって大人になってきたんだから、いちいち口出されなくたって、自分のやる事は自分で決めるっつーの。」

という具合で、犬をイライラさせる事もあれば、

「そうやっていっつもあたしのやる事ママが決めてきたから、あたし、自分で自分のことな~んにも出来ないの!ねぇママ、こういう時どうすればいいの?ママ、ねぇ、ママ!ママ!ママがやってよ、ママってば~!」

と、依存犬を作り上げる事にもなりかねない。
個人的には後者の方がより不健全だと思います。

そういうわけで、犬が『悪いこと』をした時に、いちいち飼い主さんが介入しに行くだけでも、犬の発育を妨げるリスクはありますが。
更に、その介入の仕方によって、その後を左右していきます。

皆さんは、犬が悪いことをした時、どういう介入の仕方をしていますか?
つまり、犬がやっている事を、どうやってやめさせていますか?

大きな声で叱る?
ものを投げ付けて驚かせる?
おやつなどで気を反らす?
オスワリなど別のことをさせて褒める?
時には、叩く人もいらっしゃるかも知れません。

『やり方』はいろいろあると思います。
いつの時代も、「どのやり方が正しいのか」で、一般の方から専門家まで、論争が耐えません。
論争は『相手を言い負かす』ために行われるのではなく、『物事を洗練するため』に繰り返されます。
これから新しい研究結果や考え方が出てくると、私がこれから言う事も、数年後には私自身が否定しているかも知れませんが。

今現在、私が大切にしている事を書いてみます。

まず、どのやり方を取るかの前に、考えてみて欲しいことがあります。
その、犬がやっている『悪いこと』は、『犬にとって悪いこと』ですか?
『人間にとって都合が悪いこと』ではありませんか?


犬というのはそもそも、集団生活者です。
集団生活である以上、必ず『秩序』『ルール、マナー』が発生します。
それが保たれなければ集団生活は成り立ちません。
だから犬は生まれた時から『教育』を受けます。
親やきょうだいからいろんな事を学び、成長していきます。
犬の世界には犬の世界のルールがあるのです。

私は犬が『悪いこと』をしている時に、まず、それが『犬の世界に於いてもダメなこと』なのか、『人間社会の中にいるからやらないでほしいこと』なのかを考えます。

大抵は、人との生活の中で発生する『悪いこと』は、『人間にとってやらないでほしいこと』である事がほとんどです。
「テーブルに上がる」という行為なんて、犬にとってはいいも悪いもありません。
人間の世界でなければ「テーブル」という存在がそもそもないですしね。
ゴミ箱を漁るのも、リードを咬むのもそうです。
『犬が本来持って生まれてくる行動パターン』の中に、いいも悪いもない行為です。

人間社会で暮らしてもらわなければならない以上は、放っておくことも出来ませんから、「テーブルには乗らないで」「ゴミ箱は漁らないで」「リードは咬んではいけないもの」というのを教える必要はあります。
その、『ただ犬が“知らない”だけの事』を教える時に、皆さんはどうやって教えますか?

自分だったら、『初めて知ること』を教えられる時に、いきなり怒鳴ったりものを投げ付けられたりして「それじゃダメなんだよ!」って言われたら、どうですか?

少なくとも私だったらめちゃめちゃ腹が立ちます。
何度も教えられても自分が出来ないんだったら、怒鳴られても仕方ないと思えますが、初めてのことなら「もっと他に言い方あんだろ!!」と思います。
そんな教え方をしてくる人のことは、やっぱり、好きにはなれないでしょう。
尊敬も出来ません。
長く付き合っていく中で、怒鳴られる以外に沢山いい印象を抱く出来事が起これば、親しくもなっていくかも知れませんが、時間はかかるでしょうね。

そういうわけで私の場合、特にまだ何にも知らないだけの子犬に対しては、『叱る』という方法は取りません。
もともとビビリな子犬なら、叱って教える事を繰り返す中でどんどんビクつきやすくなり、いつも上目遣いで飼い主の顔色を窺うような成犬になってしまう事もあり得ます。
『やっちゃいけない事を正しく理解する』というより、『何をやっても飼い主に怒鳴られるんじゃないかと、飼い主の動向を気にしている』だけになる事もあり得ます。
例えるなら、

万引きをして親にきつく怒鳴られて殴られて、もう二度と万引きはしなくなった。
けれど、「万引きが何故いけないのか」を理解したと言うより、「親に怒られたくないから」もうしなくなっただけ。

と言う感じですかね。
人間の子に対してもよく「お店の人に怒られるからやめなさい」「パパに怒られるよ」なんて言っちゃいがちですが、あれ、良くないと思うな~。
『怒られるからやらない』は、将来応用利かないよ、きっと。

逆に、負けん気の強い犬なら叱られることで「何を~!」と反抗してくる事も考えられます。
そこで更に飼い主が強く出れば『ケンカ』になります。
最終的に、「最初、何で叱られたんだっけ?」ってなっちゃう事も。
これは、ビビリな犬を強く叱って、犬が恐怖の限度を超えてパニックになっちゃったような場合も同じですね。
「最初の話はなんだったんだっけ?」で終わってしまい、正しい学習が詰めない。

また、負けん気の強い犬が反抗してきた時に飼い主さんが退いてしまえば、犬は『自分の主張が通る方法』を学習してしまいます。
つまり大抵の場合『“咬む”まですれば飼い主が折れる』ことを覚えるわけですね。
そんな事になるくらいなら、最初から、反抗されない教え方を選んだ方がいい。

ちなみに『叱る』ってわかりやすくて手っ取り早いので多くの方が真っ先にやりがちなんですが、私から見ると、実は最も奥深くて難しいやり方だと思ってます。
“上手く”“正しく”叱るって、とってもとってもと~っても難しい!
私は別に「叱るの反対!」「叱るなんてそれだけで虐待!!」という考えではありませんが、“ちゃんと叱る”ってそう簡単にできるもんじゃないと思ってるので、お客さんには勧めません。
でも正直、全く叱らずに犬が育つとも思っていません。
最近「結局のところ、犬をきちんと育てられる人って、ここぞという時にうまく叱るセンスがある人なのかな」と思う事も続きました。
まぁそのあたりはまた別の記事で掘り下げて。

話を戻しまして、そういうわけで、犬をやたらめったら叱る事、叱る(怒る)という方法だけで人間社会での生き方を教えるのはいかがなものか、とは思って頂けたでしょうか。
叱るというやり方は特に、『人間側の都合の押し付け』にもなりがちだと思っています。
お話ししたように、別に犬にとっては『悪いこと』でも何でもない場合がほとんどなのを、人間の都合でやめさせる。
有無を言わさず、犬に選択の余地はなく、強引にやめさせる。
“叱ってやめさせる”のは、多かれ少なかれ、そういう事です。

これは、俗に言う『天罰方式』も同様です。
天罰方式とは、犬がやった事に対し、人間が直接叱るのではなく、天罰が下ったように見せかけて、「これをやるとろくでもない事が起こる…」と犬に思わせるというもの。
犬に気付かれないよう水をかけるとか、空き缶を犬の傍に投げて大きな音で驚かせるとか、酢を薄めたスプレーを吹きかけるとか、いろんなやり方があります。
人間が直接手を下さないので、人間に対して悪いイメージを抱くリスクが低く、“自業自得”で懲りさせるというような理論ですね。

個人的には、天罰方式は、「一発で懲りてくれればまだしも、何度も繰り返さなければならないようならもうアウト。“天罰”でないことなんてすぐ気付かれる。犬はそんなにバカじゃない」と思ってますし、まあ天罰と思っていようが人間の仕業と気付かれようが、“犬自身に物事を考えさせるやり方ではない”と思っているので、私はやってません。

私が犬に物事を教える時、近年最も大切にしているのが、『犬自身に頭を使わせる事ができるかどうか』なのです。

犬はとても知能の高い生き物だと思います。
恐らく、人間の研究が追いついていないだけで、今現在解明されているよりもずっとずっと高度で複雑な思考回路を持っています。
少なくとも、私自身は、犬と暮らしていてそう思います。

「そんな事ない、うちの犬はバカ」と思う方がいらしたら、はっきりと申し上げたい。
それはきっと、あなたがその犬の能力を充分に引き出せていないだけです。
そのコが本来持っている力を充分に発揮できるように育ててあげなかっただけです。

ごく稀に私から見ても「この犬は発達障害とか何かかしら?」と思う犬もいますが、ごくごくレアなケースです。
犬を馬鹿にしないでください、犬のせいにしないでください。

犬の知能、感情の高度さは、世間で思われているよりずっとずっと高い。
それをきちんと発揮できるように育ててやれれば、犬はとっても面白い。
逆に言うと、これだけ高度な知能を適切に発揮させてやれなければ、どこかで犬はそれを持て余すと感じます。
どんな事をして遊ぼうかと、人間の予想を超えるイタズラを考え出したり、飼い主さんを振り回す事をおもしろがってイタズラをやめないなんて事もしばしば。
「どうして言っても言ってもうちの犬はわからないの!?バカなの?」とお嘆きの飼い主さん、実は犬に踊らされているだけだったりするのは、実によくある話です。

そんな事になるくらいなら、どうせ教えなければならない人間社会のルールです、教える時にせっかくだから頭も使ってもらった方がいい。
「どういう事なんだろう?」「ママは今、ぼくに何を求めてるんだろう?」と、犬自身に考えさせるようなやり方が出来たら、犬は使うべき知能を使ってエネルギーを発散することが出来るので、満足度の向上にも繋がります。

そうやって、いつも自分の頭で物事を考え、自分で次の行動を選んで生きてきた犬は、『不測の事態』にとっても強いです
今までぶつかった事がないような困難に出会っても、どうするべきかを自分で考えることができるから。
『頭を使うこと』自体に慣れがないと、犬はすぐパニックになったり、情緒が不安定になったりします。

例えば散歩中に、今まで見たこともないような大型犬に出会って「恐い」と思った時。
頭の使える犬ならば、

「うわ、どうしよう…こっちまで来るかな…道の反対側に行こうかな、それともぼくがここで曲がっちゃおうかな。あ、あっちに渡って、ママの陰に隠れて歩けば、大分安心かな。」

なんていう具合で、「どうすればいいか」を考え出すことができたりします。
でも考える事自体あまりやってきていない犬だと、

「うわ、どうしよう…こっち来る…あぁ、どうしよう…どうしよう、どうしよう、うわぁぁぁどうしようこんな近くまで来ちゃったぁぁぁ!!!」

で、パニックでギャン吠え。なんていう具合になりやすいんですね。
普段からトレーニングしとかないと、脳もこういう時すぐフリーズしちゃうんですよ。

こんなわけで、『頭の使える犬か、考えられない犬か』は、犬自身が無駄に切羽詰まらず楽に生きていけるかどうかにも繋がります。
犬のためにも、持てる能力は充分に引き出してやるべきだと私は思っています。
病院に行った時、トリミングに出した時、普段行かない場所へ遊びに行った時など、犬が「どうすればいいんだろう」と思う事態なんて、生きてる間にいくらでもある。
そういう時にいちいちパニックになる犬と、そういう時でもどっしり構えて「じゃあ、こうしよう。」「こうしてればいいかな。」と自力で『答え』を掴める犬とでは、精神的負担は雲泥の差。
『考える力』、是非伸ばしてあげたいものです。

この『犬に考えさせられるかどうか』の観点から、私個人は、『オスワリなど(人間にとって)好ましい行動を命じて、出来たら褒める(おやつ)』というやり方も、極力避けています。
だって「オスワリ」って言っちゃったら犬が「どうすればいいんだろう」って考える余地はないですもんね。
座ればいいっていう正解をこっちから言っちゃってるんだもん。

こういうやり方をする場合にありがちだな~と思うのが、飼い主さんがコマンド出しすぎ人間になってしまうこと。
犬が少しでも飼い主さんの意に反する動きをした時、すぐにコマンドで犬をコントロールしたがる、コマンドでコントロール出来ればいいと思うようになってしまう方、少なくありません。
(もっとも、それが正しいしつけだと教室などで教えられれば無理もない)

病院の待合室でもフセ、マテ!
犬がちょっとでも動くとほらほら、オスワリ!フセ!
ドッグカフェでもずっとオスワリ!フセ!
好きな人と出会って喜んでいる犬に、スワレ!スワレ!!
初めての場所に来てソワソワしている犬に、オスワリ!オスワリは!?
不安や恐怖から犬が右往左往していても、オスワリ!マテ!!

コマンドを出して犬がそれに従う瞬間は、人間にとって『強化子』になります。
言われたその瞬間だけでも犬が座れば、望んだとおりの結果が得られたということになるので、人はまたコマンドを出したくなるものです。
これは、叱ったり天罰方式で罰を与えたりして、犬がその時だけでもイタズラなどをやめる場合も同じです。
その時は人にとっては『自分の思ったとおりになった』つまり“効いた”と思うわけで、次も叱ればいい、罰を与えればいいと考える。
手っ取り早く、その場で『望む結果が得られた』行為は、どんどんやろうと思うようになるのが、動物の性です。

なので犬がコマンドを聞く場合、飼い主さんはコマンド人間になってしまう。
犬が座るのが「オスワリ」と言われた直後三秒間だけでも。

私はよく、「オスワリと言われた時に、体だけでなくて“気持ちも座れれば”OKですけどね。」という言い方をします。
格好はオスワリの形になっているけれど、心はソワソワ、飛び付いている時とな~んにも違わない気持ちで座っている。というパターン、とっても多いです。
そうした場合、飼い主さんに「よし」と言われたら、あるいはふとした拍子に、結局またすぐ飛び付いたり走ったりしてしまう。
それだと何にも意味がない、と私は思います。

散歩に行く時、ドアから勢いよく飛び出すから、オスワリと言う。
犬の気持ちは、「位置についてよーいドン!」の、「よーい…」の状態。
だからドアを開け、よしと言った瞬間、「よし」を「ドン!」にして猛ダッシュで出て行く犬。
あるいは、辛うじて座ってるけど、ドアが開いたらもう待ちきれなくて走っちゃう。

これ、何のためにオスワリって言ってるの?と私は思うんです。
せめて「よし」と言われるまで待てれば、ドアの外に人や車が通りかかってないことを飼い主さんが確認できるかな。っていう程度の意味しかない、と思う。
でも結局その後は引っ張りっぱなし、走りっぱなし。
それを更にコマンドでずっと脇につかせて歩く事ができるところまで持っていけばある意味大したものだけど、私としては、リードであれコマンドであれ犬を縛り付け続ける散歩は魅力を感じません。

でもやっぱりコマンドを出したいタイプの方も沢山います。
事あるごとに先回りしてコマンド出しちゃう、行きすぎて「いつ犬は自由行動できるの?」っていうくらいの人。
それが、きちんとした関係から指示に従っているペアならまだしも、おやつがないとコマンドも聞かないから常におやつを持ち歩いている…っていうケースだと、正直、閉口してしまいます。
そういうペアってしつけ教室経験者だったりすることが多いから、尚更滅入ってしまいます。
飼い主さんが正しく吸収して来られなかったのか、教室での教え方がそもそも間違っているのか…実際は、両方のケースがあるんでしょうね。

「こういう時は吠えるんじゃなくて座りましょう。」と教えるために、「オスワリ」を教えておいて、吠える状況でコマンドをかける。
こういう教え方も、結局は、ちゃんとやればいい結果は得られます。
私も全くやらないわけではありません。
大事にしているのは、『犬がそろそろ何を求められているのか理解してきたら、人からの働きかけを減らしていくこと』です。
コマンドはあくまで導入であり、ヒントの一つ。
結局は犬が自発的に座るように誘導していくわけで、いつまでも「オスワリ」って言い続けるだけでは、『親に言われなきゃ出来ない子』から次へ進めないんですよね。

あるいは、「もうわかってるよ!座りゃあいいんだろ!!」って犬を苛つかせたり、しつこく言い過ぎて反発心を招いたりってことも。
親が口うるさく繰り返すと、子供って尚更言う事聞かないでしょ?

だから本来はいつまでも飼い主からのコマンドで動くだけではダメなんです。
でも結局、犬の気持ちがきちんと伴っていないと、「オスワリ」「フセ」と言われた直後三秒間しか座ってないから、飼い主はまた「オスワリ」と言う。
きちんと自分から空気読んで、この場ではどう振る舞うべきか考えて、落ち着きを備えた犬であれば、オスワリとかフセとか言われなくてもその場に相応しい態度を取れるのに。

そう言えば以前、あるドッグカフェに行った時、そこの看板犬がひどいもんでした。
スパイクチェーンをつけられて出て来て、オーナーにガシガシリードを引かれ、「マテ!」と顔の前に手の平を出され続けて、でも犬の目はギラギラ、「いつ飛び出してやろうか」状態。
一方でうちの幸一とちゃちゃは、私は一言もコマンドかけてないけど、私の後ろに下がって静か~に伏せて「うるせーの来たよ…勘弁して……」と遠い目。
リードすら張ってなくて一切のコントロールを受けていないうちの犬達と、カフェの看板犬との差に、あのオーナーや周りのお客さんはどう考えただろうなぁ。
思う事あるだろ~とこっちは思うけど、きっとあの場にいた人達の頭の中は「うわぁ、本物のシェパードだぁ」でいっぱいだったんだろうな(苦笑)

コマンドを出すことについて掘り下げるとキリがないので、本日のメインテーマ『犬に考えさせること』に話を戻しますが。
最初からこちらがコマンドを出してしまうというのも、犬自身に考えさせるという点では、今ひとつなところがあるやり方だということは、共感して頂けたでしょうか?
この方法の副作用として飼い主さんがコマンド人間になった時、いかに犬をうんざりさせるか(たまに私が「ねぇ、うるさい。」って言いたくなっちゃう時ありますからね。)、あるいは常に犬の行動をコントロールしてしまうことで犬を歪ませてしまうというリスク、是非頭に置いておいてほしいと思います。

じゃあ、結局、どうすればいいのさ!?というお声がそろそろ聞こえてきそうですが。
ここで文章だけで「こういう場合はこう。」と説明できるようだったら、本だけ一冊出して、私はドッグトレーナーをやっていません。
結局、犬が取る行動も無数にあれば、同じ行動を取っていても犬の性格やバックグラウンドで対応は違ってくるし、こちらの対応で犬に変化が見られれば、じゃあ次はこういう風にね。とその時々で細かく変わっていくわけなので、『土田が思う正しいしつけ』をここに書き切る事は不可能です。

でも、参考までに、ちょっとだけ書いてみたいと思います。

例えば、最近レッスンに行ってる、ある柴ちゃん。
彼女は、ご家族が一人でも別室に行ってしまうと、部屋の戸をガリガリ引っ掻いてしまうということでした。
なので私は、「部屋に残っている方が、犬とドアの間に割って入って、犬に向かって立ってみてください。犬が左右に抜けようとするようなら、バスケのディフェンスのように立ちはだかって。」とご説明しました。

この時私は『無言で』というのを強くお勧めしています。
何も言わないくらいの方が、どういう事なのかを犬に考えてもらうには好都合だと思うからです。
こらとか何とか言う必要はありませんし、別に恐い顔をする必要もありません。
普通の真顔、真剣な顔で結構です。
飼い主さんには、「○○ちゃん、ママが今あなたに何を言いたいか、わかる?考えてごらん、時間がかかってもいいから。」という気持ちで、立ってもらいます。

この柴ちゃんの場合は反応が良く、すぐに「なんか、止められちゃったぁ。やめなさいって言われてるみたい。じゃあ、いいや。」と、座ったり、部屋の隅に行って伏せたりしました。
犬が自らそういう態度を取ったところで、初めて、笑いかけて「そう、イイコ。」と声をかけてあげる。
そうすると犬は、「あ、やっぱりそういう事だったみたい。」と理解します。

こうして、曲がりなりにも『自分が選んだ行動』を褒められる、認められることによって、犬も自尊心が伸びます。
あくまで人間の役割は『(ガリガリするのをやめるように)誘導する』事であって、最後の“答え”を掴むのは犬自身。
私はこういう風に、犬に物事を教えています。

ちなみに、大前提ですが、イタズラや悪さをするその時の対処だけでなく、散歩をはじめとしたストレスマネジメントがきちんとなされている上での、上記のようなやり取りです。
これ、やるべき事をきちんとやらず、犬がエネルギーを持て余してあれこれやらかしている場合は、「考えてごらん」なんて言われてもそんな余裕ないって事もあり得ますし、逆にきちんと欲求不満を解消してあげたら、イタズラに直接対処しなくても落ち着いて寝ている犬になる事もできるかも知れない。
結局トータルプロデュースです。
ここに書いてあることだけマネしてみて「うちの犬ダメだわ」なんて言わないでくださいね。

実際は、私が取っている方法は、なかなか一般の飼い主さんにとっては面倒くさい事が多いです。
犬に考えてもらうためにはじっくり時間をかけてやり取りしなければならない事もあるし、犬が何かをするたびに、その都度きちんとやり取りしに行かなければ、「うちの飼い主っていい加減。自分もいい加減にしてればいいや。」となってしまう。
でも実際、生活していると、すぐ犬の傍に飛んでいけないシーンなんて沢山あります。
だから遠くからでも「こら!」とか怒鳴ってやめてくれるなら楽ちんだし、一回、二回やってみてすぐ問題行動そのものがなくなってくれればと思うから、即効性のあるインスタントなやり方に飛び付きたくもなる。
テレビ的には劇的にその場で結果が出てほしいので、かつてはテレビによって浅いやり方が広まってしまった事もありました。

でもね、生き物を育てるって事が、そんなに簡単に行くわけがないんです。
痛みも感情もある命と向き合うって事が、そんなに手っ取り早く片付くわけがない。
金髪にして煙草吸ってる女子高生を、一発で、黒髪膝下スカートの優等生に変化させる方法なんて、ありますか?
もしかしたら「黒髪にしてスカート長くして学校を卒業するまで通ったら、一千万円あげる」と言ったら髪は染めるかも知れませんが(笑)それってその子の内面が膝下スカートの優等生と同じになるわけじゃないですよね。

どうして世の中に何千人もドッグトレーナーが存在していて、決して安くないレッスン料をもらって仕事して、成り立っているのか。
なんで同じドッグトレーナーなのに、それぞれ言う事が違って、何十年も議論があって、飼い主さんが方法選びに困る事態になっているのか。
そのことの意味を考えると、少なくとも、テレビやネットで見かけた誰でも出来そうな方法で、全ての犬が治るわけがないという事は、おわかり頂けると思います。

『大切な事』は結局のところ、人それぞれです。
私は私が経験した事、犬達に教えられた中から、今最重要視しているのが『犬自身に考えさせること』『頭の使える犬にしてあげること』だから、一見犬がすぐ治るように見えない事をやっています。
考えさせる事よりも、「犬にストレスをかけない事が大切だ」と言う人もいるでしょうし、「早く結果を出してやった方が犬だって楽だ」と思う人もいるでしょう。
飼い主さんにとっても大切な事はそれぞれ違います。
「納得できない」と思いながら方法だけ真似ても絶対にうまくいかないので、しっくりくるものを探してください。

ただ、やっぱり、飼い主さんさえ良ければいいというわけにはいかないので。
これ、犬でなく車や楽器だったら、「そんな使い方して、最終的に無理がたたってぶっ壊れたって知らないよ!」と言えるのですが、やはり犬が関わってくると、そうも言えないので。
全ての飼い主さんが、いついかなる時も、自分達だけでなく本当に犬のためになるのかどうかということを念頭に置いて、犬と向き合ってくださるよう。
私のブログが、誰かのヒントになっていければ、幸いです。

愛犬とゆっくりお正月を…

明けましておめでとうございます。
2018年、皆様と愛犬にとって幸多き年となりますように。

2017年、私にとっては、一際『何をするでもないけど犬と一緒に居てやる時間』の重要さを思い知らされた年でした。
大きく分けると二つの出来事があって、まず一つ目は、5月に私の祖母が二週間ほど入院したこと。
もう一つは、7月後半から11月の終わりまで、私の仕事が忙しいのが続いたこと。

5月に祖母が入院した時というのは、私はまだ実家暮らしで、幸一もちゃちゃも一緒に実家で暮らしていました。
我が家は、祖母、父、私と幸一、茶々丸という家族構成で、家のことはほぼ全部祖母がやってきました。
ごはん作りや買い物、掃除、父の分の洗濯、町内とのお付き合い、ゴミ出しなどなど。
祖母が入院したことで、それが一気に全部私の役目になりました。
その日々を通して、改めて、『犬を飼う』のではなくて『犬を幸福に暮らさせてやる』事のハードルの高さと、他のこととの両立の困難さを痛感しました。

急に慣れない家事を請け負うことになったため、そのつもりで仕事はゆるめに入れて、半日仕事、半日家事…というような感じでした。
我が家を支えるのは何と言ってもまず父の収入なので、父がいつも通り生活できるよう、私は自分の仕事と趣味などの時間をセーブしてでも、父に不便をさせてはいけないと思い、自営の利点を生かしてハードになりすぎないようスケジュールを調整していました。

それでも、主婦業というのは、きちんとやろうとするほど、結構大変だし時間を取られるもので。
家に居てもバタバタと動き回っている私に、犬達は、とても不服そうでした。
特にちゃちゃ。
いつもと同じ時間に、いつもと同じ場所で寝ているんだけれど、寝姿がとっても淋しそうなのです。

私が傍にいてのんびりパソコンを見ていようが。
台所でごはんを作っていようが。
同じように寝ている犬達。
なのに、『ママが傍に居てくれる』お昼寝なのか、『放っておかれてる』お昼寝なのかで、全然幸せ度が違う。
私が一緒に居てやれない時のちゃちゃは正にふて寝でした。
淋しいって言いに来ないから、いつもと同じように寝てるから、放っておいても大丈夫…なんてもんじゃない。

散歩はいつも通り行っていたし、一見、犬達のルーティンは何も変わっていませんでした。
ルーティンが変わってあたふたしていたのは私だけに見えました。
だけどいつもと変わらず過ごしているように見える犬達の胸の内は、全くいつもと同じではなかった。
この時は、祖母が二週間で退院し、更に二週間後には全快して、元通りの日常が戻った、一ヶ月程度でまた私が犬達と過ごせる時間が戻ったから、「淋しそう」で済んだだけ。

この一ヶ月程度の間に、私はつくづくと思いました。
犬を幸せに暮らさせてやろうと思ったら、専業主婦でも一人の力ではキツイ。
家事をちゃんとやろうとすると、犬と一緒にゆったりしていてやれる時間って、そんなにまとめて確保できない。
ゴミ出し、洗濯機回して掃除、洗濯終わる、干しに行く、あるいは取り込んできてたたむ…って、家の中うろうろうろうろする間に、一時間や二時間なんてあっと言う間に経ちます。
子育て世代ならその合間に赤ちゃん泣く、ミルクやおむつ替え。

そんな事してる間にもうお昼ごはんを作る時間。
食べたら当然、後片付け。
食事に関する事で前後二時間近くは簡単にかかっちゃう。
買い物も含めると、食べる事に関しては本当に、日々時間を取られます。
それが一日二回、三回は当たり前。
こりゃ『時短』なんて言葉が生まれるわけだわ。

夕方はまた風呂掃除してごはん作って~っていうだけでも、18時前くらいから動き始めて、後片付けが終わるまで20時過ぎくらいまでが当たり前に過ぎていきます。
こうして書き出してみると、人間の生活って、本当に忙しない。
こんな忙しない日々を多くの人が結構当たり前に過ごしているって、実はすごいと思う。
みんな疲れちゃうよね。
なんか違う…なんか虚しい…って漠然とストレスを感じながら生きるのも、無理ないと思う。

そんな忙しない日々の中、犬を飼って、散歩をはじめとした必要最低限の事柄をこなしてやるだけでも、わざわざ更に大変な生活になるのに。
最低限でなく、より質の高い日々を、上質な幸福を…って考えると、普通の日本人のライフスタイルじゃ無理!!っていう結論に至ります。
日本はまず犬を飼うには労働時間が長すぎる。
専業主婦でもこれだけ『ただ傍に居てやる』って意外と出来ないのに、働いたらもう、尚更ムリ。
長く留守番させられて、やっと帰って来た飼い主は、今度は家の中であれこれドタバタ動き回って…
そんな日々では犬が満たされるはずがない。

子供だって、ごはんさえ食べさせれば成長するわけではない(体は成長するだろうけど)
「今日は学校でどんなことがあったの?」っていう会話が、食事中にあってこそ、心も健全に成長していくはず。
どんなに美味しくて栄養配分も完璧なごはんがテーブルに出ていても、「じゃあ食べておいてね、お母さんは洗濯物片付けてくるから」では、ダメなのと同じです。

私が最近(半分冗談でですが)よく言うのは、「私は人生設計を大きくやり直して、犬達のために今から玉の輿を狙う」です(笑)
自分は働かず(あるいは半分道楽で好きなことをして)旦那の稼ぎで生活が出来て、でも主婦業に追われる必要もなく、お手伝いさんの一人や二人居て、自分は犬のことを常に最優先に考えていられる生活。
それくらい余裕たっぷりの身分でないと、愛犬の揺るぎない幸せを確保してあげるのは難しい。というのは、真剣に思うところです。

現に下半期は、前回の記事でも書いたとおり、仕事しすぎて犬達も追い詰めて幸一を病に陥れたわけですから。
まあちょっと正直、かなり極端な日々ではありましたので…あそこまで極端な日々を四ヶ月も続けられる人がそうそういるとは思えませんし、通常は恐らく愛犬の前に普通に自分が倒れると思いますし(笑)
幸一ほど飼い主とリンクして身代わりのようになるというのも、必ずしもではないですし。
特殊な一例と思って頂いてもいいと思います。

ただ、幸一は、態度に出さない分体調に出る犬だというだけで。
全部素直に態度に出るちゃちゃは、わかりやすく淋しい病でした。
なんせ実家に預けた時は一度、私を探しに脱走しています。
(正確には、一度未遂に終わっただけで、脱走騒動は二度起きてます)
普段クールで素っ気ないちゃちゃが、淋しいという感情が積もり積もると、こんなにもくっつき虫になるものかと驚いています。
淋しいと感じていたこと、それが積み重なると何かしらの異常を来すことは、幸一もちゃちゃも、どの犬も同じです。

結局、忙しいさなかというのは、せっかくちゃちゃがくっついてきても、5分やそこらで「ごめん…」と言いながらまたすぐ立ち上がらなければならないわけで。
尚更ちゃちゃの不満は募っていきます。
最近は、ちゃちゃの方から「もういいや。」と離れていくまで、ずっと抱いていてやれる時も増えてきて。
冬場はこんな感じでいけるはずなので、回復していくと思います。

沢山沢山、負担をかけてきたし、これからも負担をかけてしまうであろう幸一とちゃちゃ。
負担を全くかけないという事は出来ないだろうと思うものの、もう少し何とかしないとな…と、今から来夏に向けて思案に暮れる土田です。

思案に暮れながら、年末年始は、そこそこ仕事しつつ犬達と正月感も楽しんでます。
天気もそうひどくない日が多いというのも嬉しいところ。

ちゃちゃの散歩納め。

ちゃちゃんぽ

今年も沢山歩きましたなぁ、シーズーなのに。

あっち行こうよ

そっち行ったら遠回りになりすぎるから、行かないよ…。

行きたい

さて、沢山負担もかけてしまった2017年でしたが、最後の最後にとてもいいものが届きました。
何かな、何かな…。

いいもの

おーぷーん。
じゃん。

おせち

『コミフ』(コミュニケーションフード)と言いまして、多分知る人ぞ知るって感じだと思うのですが、犬も人も食べられるおせちです。
ケーキとかアイスとかもあるんですが、今年はおせちを頂きました。
はるゆずママ、去年のクリスマスケーキに引き続き、ご馳走様です!

こうしてお客様からいいもの頂く事が本当に多くて、特に2017年は、移転祝いとしていろんな方からいろんなものを頂きました。
ブログ書くヒマなかったけど、これからそんなのも記録に残していきたいな~。

さて、おせちは幸一とちゃちゃの労を労い、ほとんどをふたりに振り分けました。

ふりわけた

まずこうちゃん、写真撮らせてくださ~い。

食べたいこうちゃん

「だからどうしてお母さんは普段待てとか言わないのに、美味しそうなものの時に限って待てって言うんです?早く食べたいです。」
ごめんごめん、どうぞ。

おいしいです~

「美味しいです~」

はい、次はちゃちゃ様です。

食べたいちゃちゃ

美味しいものを前にした時のちゃちゃは必ずこういう顔になります。

うるおってる

はい、ちゃちゃ様もどうぞ。

うまい

もりもり食べ進めるちゃちゃですが…

さかな

お魚をぽいっと皿の外へw
そう言えばお前、生臭いのあんまり好きじゃなかったっけ…

と、そこへ、自分の分を食べ終わった幸一が差し掛かり…

こうちゃんが見てる

「あ、落ちてる…」とめっちゃお魚を見てる。
その次の瞬間。

とられるものか

ちゃちゃって性格悪い…orz
そう言えば前、ちゃちゃにあげた硬いチーズ、半分残して投げてあって、何度「もういらないの?」て確認しても「いらない。」って言うから、幸一にあげたら、わざわざ別室から奪い返しに来て持ち去ってまた投げといたことあったなー(笑)

そして最後に野菜も残すw

ごちそーさん

そう言えばキノコは完全に嫌いだったw
しいたけがある間も幸一が皿に近付くと「あげないっ!」て顔でフタをしてましたが、結局食べはしなかったので、私が拾って幸一にあげました。

満足して頂けたかな?

いっしょ。

今年も沢山、楽しいこと、美味しいものに出会おうね。
2018年も、よろしくお願い致します。
 
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